~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

「ビスコ、安いね」のショック

今日は、自分の内面の姿を見直しあらためる、ということができればいいな、
と思ってスタートしていましたが、
切り口をうまく見つけられないまま夕方を迎えていました。

帰り道、牛乳が無くなっていたことを思い出し、
マーケットで買い物をすることにしなければ、この改善点は見過ごされたまま
過ぎて行ったかもしれません。

改善点というと大げさに聞こえますが、
意識して使用を中止しようと決めた言葉=〔安い〕を発見する一幕がありました。

子供の頃から、こういう表現を使う大人は品性に欠ける、と
何となく思っていました。そして、特に子供の母親になってからは
物の値段のことを口にするということ自体敢えてしてきませんでした。
多くのお母様がそうであるように、
品質や鮮度の良し悪しで良いものを求め選択する価値観を優先して学んでほしかったからです。

でも、ふと気づくと、masaの中には物欲と共に金銭感覚が全くない・・・・というより感覚以前に値段を意識する、ということが全くない・・。
これでは、自分で買い物をするという段に辿り着く日が来ないかもしれない、と
思い、
1)値段に目を向けること、
2)値段が時と場所によって変化することが理解できるように
という目的で、分かりやすいと思われる「安い」という言葉を
数か月前から多用するようになっていました。

お野菜を見ながら、「○○が欲しいんだけど、安くない」とか
「あっ、○○が安くなってる」など、普通に聞きそうな範囲でmasaの耳に入るようにして
買い物をするようにしていました。

しかし、この言葉があっという間に彼の中で望ましくない感覚を作っていたことが今日わかりました。

それは、一通り買い物が済み、レジに並ぼうとする手前に
ビスコ”が懐かしい風貌でバスケットに積まれていて、
夕方の空腹感に手が出てしまったあとのことでした。
masaに「ビスコ、食べたいね。要る?いらない?」と声をかけ「いる!」の一声でカゴに入ったのですが、

レジの順番が回ってきて、レジ打ちを待っていると、
突然「ビスコ安いね!」と言い始めたのです。
「そうだった?特に安くないとおもうけど?」と返すと、
再び「ビスコ安いね!」と、周りの人が振り向くほどのはっきりした声で繰り返します。

3,4回同じことをこだわって口にしていた理由は定かではありませんが、
いつの間にか、彼の中で「安い」=買う条件 という感覚が確実に育ってしまっていることがはっきりとわかりました。

・・・落胆しました。

「安い」を購入基準にして買い物をすることほど、下手な買い物はない
と思っている私にとっては屈辱的ともいえる、我が子の発言でした。

でも、確かに彼の前で「安い」ものが沢山登場し、その中で購入されたものも多く、私の購入基準をクリアする第一条件だと写っていたのでしょう。
ビスコが欲しかったのか、
私が「安い、安い」というのが(私が子供の頃の時と同じ感覚で)嫌だったのか、突然、「ビスコ安いね」と言った理由はわかりません。


でもこれは、きっと‟美しくない”表現を、あなた使っていますよ、
というサインだったのだと気づくことにしました。

masaに値段の感覚をわかってもらうためには、別の表現で、
もっと丁寧に教えていくことにして、「安い」は封印します。
masaの身の回りが「安い」もので構成されている、という大きな誤解は
早くといておかなくては。

夕飯クリップ☆彡
             
スープは エビの殻を剥くのが苦手なmasa仕様で、甘エビを一旦取り出し、全てむき身にしてから再投入しました。