~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

KUMON

最近、家庭向けの教育雑誌が増えるにつれて、"くもん”が取り上げられる機会が増えた気がします。
教材が確立された個性的な指導方法だけに、“好き派”“嫌い派”が分かれると思いますが、私自身は子どもの頃、体験学習を受けて“いらない、向かない、嫌い”という派でした。
しかし、我が子は偶然のご縁で入会したのが13年前。彼には合っていたと思います。

どのような習い事でも、始めるときは、その時点での感覚で判断することになるのだと思いますが、KUMONはよくできてるな〜、と感心するようになったのは5年以上たってからかだったと思います。続けるほど、信頼度が高くなる、そんな不思議な教育法です。

この点が、他のスタイルの学習塾には無い、KUMON独特の長所だと思えます。どのような学習でも、積み重ねていく必要がありますが、学校の試験や受験を目的とする学習塾の場合、即戦力(3年以内くらいの)を重視しがちで、長く続けていく良さを生徒が感じられるような指導とは別なところにあるように思えます。

私自身もそうでしたが、生きている中での節目が3年、みたいに感じていたりする人が、“塾世代”の人に多いような気がするのは、3年ごとの受験とか、大体3年位で完了する形に作られている教育環境の刷り込みが影響しているのかもしれません。

仕事でも、音楽でも、どのような道でもその後の人生で進もうとする道は、3年よりもっともっと突き詰めて積み重ねていける深みがあるはずです。
KUMONには、そんな、豊かな人生への信頼感を、学習を通じていつの間にか学んでいける良さがあると思います。

ところがところが、Hanaの書棚にはこんな本があります。

この雑誌、1993年10月249号です。“危険な公文式早期教育”特集。
我が子が生まれた頃、この記事を読んでいた私でした。
この中に書かれていることは、一理あるとおもいます。
この本の内容を今むと、KUMON学習の目的をはき違えて頑張ると、実りが無いことがある、と理解できます。
早期教育論に関しては、ちょっと横に置いておきたいと思います。)

また、冒頭に記した子どもの頃の私のように、"無駄が多い気がする”とか、“合ってない”と直感を持つお子さんに対して、そのタイミングで絶対的なものとして押しつけることだけは逆効果だと思います。これは、親ではなくお子様ご本人が感じる場合です。

それから、珠算を習っていれば、“いらない”と思われるお子様は多いでしょうし、優秀なお子様には、国語はに不自由していない、という方も多いと思います。この場合、KUMON国語の進んだ教材には、一般知識を底上げしてくれる内容の読み物が豊富にあるのですが。
でも、教材を全部経験したことが無ければその事がわからないので、ここで国語のみで始める、という選択肢を選ぶ方が少なくなると思うと、少しもったいない気がします。

あとは...

その後の人生を考えた場合、敢えて他に補っておいた方が良いと思うのは体力と創造力を開発するモチベーションくらいです。
あ、それからKUMONの教室は社交の場にもなりにくいので、お友達とお話しする休み時間が保証されている塾とは、その点も違いますね(*^o^*)。

結論として、KUMONの良いところは
経験を積み重ねることで深めていける豊かな人生への信頼感を、学習を通じていつの間にか学んでいけるところだと感じています。
13年間KUMONと付き合ってきての、あくまで個人的感想です。
今だから言えることです。