~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

視界

雨の合間を縫って敢行したような
今日のウオーキング。このお天気なので園内はほぼ貸し切り状態。
先週会った、「3才」の女の子たちにはさすがに会えませんでしたが

時折吹く風が木々の葉に溜まった水滴をパラパラと落とす
お散歩コースに、絵にかいたようなキノコが成長しているのを発見。
       
       どこから見ても立派な毒キノコ(*^^*)
まだまだ暑い今年の夏ですが、確実に秋がやってきていることが
どうしてキノコにはわかるのかしら。すごいなぁ。

このキノコを見つけて思わず「スゴーイ!」と声を上げた瞬間に
一緒に歩いていたtomokoちゃんはその向こうに倒れていた
倒木が目に入っていて、それが「すごい」なのかと思ったのだそうで、
同じとき、同じところを歩いていても、
観ているものが人それぞれであることを確認していました。

今日のおしゃべりが行きついたところは、
彼女は「教える」ということがとても嫌いで、だから子どもに何やかんやと言っている
今の状態は自分にとって苦行であると。、
さて私はといえば、(そんなこと意識したこともなかったけれど)、
敢えて考えれば、教えられることは教えてあげたい、とは思うし
教えてもらえる立場に立つことも好きなタイプです。
彼女は、自分が教えてもらうことも言われることも、あまり好きじゃない
ということもあるそうで、だからそういう嫌な思いを人にさせたくない、と
繋がるらしいのです。

そういわれると、
何が彼女のそういう感じ方を作っているのだろう、とまた興味を持ってしまうのが私。
そんなところに観点はもたず、純粋に自分の感じるままに生きる事に集中しようよ
的な考えなのかな、そういう彼女。

おそらく互いに色々な観点が異なっていることを認め合いながらも
あまり頑張らずに気持よく付き合えるところが、ある意味共通項といえば
そう言える、貴重な友人です。

同じ日本人で、同じ‟母親”という立場でも 
体格や顔が違うのと同じように、結構根本的な考えの始まりが違う人たちが
この地球上には無数に存在するのであろうことを思います。

そういう自分と違うタイプの人たちが、私のいたらないところを補ってくれているわけで、
同じ自分の体の中でも、手は歩けないし、足はモノを食べられない、
だけど、みんな私。みんな繋がっている。というのと同じように
それぞれの分離した考え方をもちながら、大元でつながり合っていること、
それで丁度いいバランスを保っているのであろうことを想像するに至り
ありがたい、と感じるような1日でした。

夕飯クリップ☆彡
              
キャベツとメンマのあえ物はコチュジャンで。