伝え残していくもの
入院中の義母の所へ行ってみたら、母の妹の叔母様が来ていました。
「ごめんなさいね、私も丁度今来たばかりなの。」と言って
会話を始めた二人。
masaと3人でベッドを囲んで80老女二人のたわいない話を聞いていました。
年金の手続きの話、病院までの道筋のはなし、亡くなった息子の荷物の話
その息子が残した猫のはなし・・・。
安静にさせられていたら動かなくなった脚の話、
それで一人で勝手にトイレに行けなくなった不便さのはなし、
電気を消そうとして上を向くとめまいがするはなし・・。
それでも「死にたくないわ」「そりゃ、死にたくないわよ」って
まったく弱気になっていない(;´∀`)生への執着を持つたくましさに、年輪の持つ強さ
とその意味を考えさせられながら、今の私が何を見て生きていけばいいのか
考えるきっかけにもなりました。
衰えることばかりが次々と現れる年齢に向かっていく人生後半の数十年を、
自身、或は自分に属するものを成立させることだけを目的にして
生きている限り、自分の生命が途切れたところで、生きた意味は完結してしまう。
そんな死に方は寂しすぎる。。。
子どもや家業があったとしても、なかったとしても
自分の人生の中で得られた経験を次の世代の者に、伝え残すことこそを
人生の目的として、それが少しでも成しうれば
それで初めて、この世に生を受けた意味が全うされるのではないかと
あらためて意識した次第です。
朝炊いておいた 紫花豆。
うすい甘みをつけて、アイスと一緒に焼きたてのバケットと一緒に食べたり、
こんな小さな幸せをつなぎながら
自分が形のないものを伝えていける相手を、もう少し広く探していくことも
課題かな、と感じていた1日でした。
与えられる学びに感謝です。