~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

3本立てです。笑い話は3話目になります(*^-^*)。

今朝、masaに「明日何曜日?」と起こされて、
「え?今日?火曜日。」と言って眠りに戻ったとき、きっとゴミ出しの時間だったの
だと思います。
そんな寝坊をしているとは思ってもいなかった自分が目を覚ますと、
1時間も寝過ごしていました。

今日は気力も萎えていて、あっさりとギブアップメールを
tomokoちゃんに送ってみました。
すると、いつもは腰が重くなりがちな方の彼女から想定外(^-^;の返信。

湿気のせいで何かと後ろ向きになっていた自分をリセットさせてもらえて
感謝でした。

    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆
さて、帰宅してやっと汗が引いたころ、
2日ぶりに本を読み始めたmasa

今日masaが読んでいたのは、2016年直木賞の短編集。
時計店のお話の部分でした。

最近、戦争の影響というのは、実質的な‟喪失”だけでなく、
直接‟被害”として表立ってこない甚大な影響をその時代のほぼすべての人に
多くは傷として残している、ということを感じ取る側面に出会うことが再び増えているのですが、
この話のなかにもそんな主人公のお父さんがいました。

有名でもない小企業でもないありふれた会社の経理部で
一生をすごした亡きお父さんが、主人公の少年時代、(弁当の中身が変わり、母親がパートに
出るようになったことで家計が苦しいことを感じていたのに)銀座でコートをオーダーメイドしていたことを、
主人公は自分が定年間近の年齢になって知り、呆れます。

でも、そのお父さんの本当の心理は・・・。
彼が学生だった戦争時代は弁護士になるはずでした。
大学の法学部で勉強をしていた彼が、在学中に動員されて行った戦争が終わり、
帰ってくると法律が全て変わってしまいました。

そのような事情があって、生活のために平凡な会社の経理課長であり続けた人が
ここに一人居る、ということは誰にとっても取るに足らないことかもしれません。
でも、家族もあってリベンジする機会もそんな事を話す機会もないまま、
満足とはいかない人生を歩んでいた、‟父の心は手の中に握りこめるほどありありとわかる。”
・・・と続きます。



誰に話す機会もないまま、戦争の熱風で曲がってしまった人生を
忍びながら歩んできた親世代を見て、その人生観を表出されている部分だけ見て
育ってきた子ども世代は、またその理解しきれていない事情の親の影響を大きく受けて
自分の人生観に投影しています。
その様にして、戦争の影響は次世代の人生観に再度無意識に影響し
その中から愛や平和への信頼を遠ざける思考が生み出されていくのだと感じます。

その様な親たちを客観的にみる平和を与えられた3世代目が
‟教訓を生かす”という言葉を深い意味で感じられるかどうかが、
人類の人生ゲームをふりだしに戻すかどうかのカギを握っているように思えています。

だから、今それを感じる次世代の人たちが、こうして書くことが増えているのでしょう。

    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

少し話が重くなったところで、今日もmasaが会心の笑をくれましたので追記致します。

はい、その時計店の短編の一節です。

朗読(by masa
「‟はぽ。”「おうっ!」思わず声をあげてしまった。
正面の壁のふりこ時計のひとつから ツルが飛び出したのだ。‟はぽ。はぽ。はぽ。午後四時だ。・・・」
 

えっ!?ちょっと待って、鶴?ツル?つる・・?(頭の中でリアル鶴が柱時計から飛び出してみる)
ちょっと大きすぎない?いくらなんでも・・。鶴は・・。
と、本を覗き込み,鳩(ハト)であることを伝えました。勿論かなり爆笑した後です。

そして、その8ページ後、忘れた頃にまた登場。
 
8時37分で止められている時計があり、これは何を示す時刻だろう、と推理する主人公が「なんの記念日なんですか?」と聞く場面。
「時計屋が父の腕時計を単眼鏡で見降ろしたまま、
ぽとりと言葉を落とした。
 「亡くなった時の時間です。」
 はぽ。
 胸からツルが飛び出した。・・・」

柱時計の出てこない場面だったので油断していた・・・また吹き出してしまった私の
反応を見て、すかさず訂正してくれたmasa
 「ツルじゃなかった。ニワトリだった!!

もう、またツボにはまってしまった母でした。

愉しい朗読をありがとう。masa

夕飯クリップ☆彡