親が子に残せるもの
masaがまだ幼児だった頃聞いた講演で、
親が子に残すものは何か、というお話の中
それは‟価値観”である、、
親が自分の親から引き継いだベースから、自分で築いたものが
そのまま子どもに浸みこんでいくという答えに共感しました。
でも、その時点での‟価値観”という言葉が自分の中で意味するものが
まだまだ狭かったことを、ことあるごとに気づき、
豊かな人生について考える時間を時おり持てることが
幸せだと思います。
幼稚園から大学、そして社会のスタンダードを導かれるままに歩むと
どの分野においても、成果を上げること、社会的に認めらることが
豊かな人生の重要事項であるように思わされて育ちます。
素直なこどもであるほど、その暗示に素直に従い、
成長し、社会人を数年経験して子どもを持つ人は、その子が
数年のうちにもう同じ道を歩み始めるのを観ながら、
自分が受けた擦り込みを親としてもう一度踏襲します。
そんな忙しい人生のなかで、
‟成果を上げる”ために
苦しい思いや不条理な思いをしながらでも‟頑張る”努力に美しさを
見出すよりも、
‟好きなこと”楽しんでするという自由を知り、
楽しめることをより多く知っていることが本当は人生を豊かに生きる重要事項である
ということに、自力で気づくことは難しいことでしょう。
様々な分野で勝ち続けている人、成果を出し続けている人は、
勝つこと自体、成果を出すこと自体が人生の目的になっているのでそれが‟楽しいこと”に置き換わっている場合もありましょう。でもトップになるという事は、一人になるという事。
孤独が付いて回る人生です。
親は、子どもと趣味(楽しい事)を多くシェアしその要素を広げることに
学校や進路やコンクールについて傾ける熱意と同じくらい熱心になってもいいのでは
ないかしら、とこの頃思います。
一緒に美味しい物を食べることはその基本です。
本を読んだり映画を見たりする時間に勉強しなくちゃと思わなくていい子にしたいです。
ダンスやピアノやバイオリンを習っても、その到達度やコンペの結果を
短期的に評価することで、子どもが義務に感じるタスクにしてしまったり
他のお子さんと比較する対象にしてしまっては、たとえ
子ども自身が音楽の楽しさを感じていても、親が感じていなければ
その価値観に塗り替えられてしまうでしょう。
嬉しさに口ずさむ歌、集い歌い、心を慰める、そんな音楽を共有できるために
音楽があることを、時々一緒に思い出すことがあって、そのための音楽であることを
体験しなければ。芸術さえも社会的成功の手段となってしまいます。
スポーツでもなんでも、上達する為に目標は必要、努力も必要。
でも、それだけで上手く行けば行くほど、人生に豊かなゆとりが許されていることに
気付くのが遅くなってしまいます。
だから、親が教えておいてあげる。。。
勿論科学や数学などの知的好奇心を深める時間をシェアするのも楽しい時間でしょう。
特に若いエネルギーは一つの事に没頭したい時期でもありますから、
あれこれと親の趣味に付き合ってももらえないかもしれません。
それでも、親が芸術をはじめとする趣味に時間をあけ渡していた姿から
いつしか、人生にはそういうゆとりの時間も充分与えらえていることを
思い出すことができると思うのです。
清算的な社会生活には縁がなさそうに見える
音楽・体育・家庭科・美術がなぜ小学校の教科にあるのかを
年齢を経て納得する前に、それらを生活に上手に取り入れることを
教えてあげられれば、(それもまた価値観の1要素ではありますが)
この人生を歩んできた自分の価値観を引き継ぐ子として幸せなのではないか
などと、若かりし頃の自分にも言いたい今宵です(#^^#)。