1日で受け取る情報量
夜車を走らせている時に耳に入ったラジオから
おもしろい‟日本人の特性”が流れてきました。
見事な工芸品とか、技を凝らした道具とかがあっても
そうした物になれているともいえる日本人は、それに寄っては来ない。
ところが、そこでデモ制作などをしていると、すごく寄ってくるのだそうです。
完成品よりも、どのようにそれが作られていくのか、というところに
興味を馳せるのが日本人の特性なのだそうです。
確かに、そうかもしれない・・・と思いました。
普段制作している編み花も、出来上がりを見れば、「は〜ん」という
位のものでしょうが、作っている所を自由に観ていただけるデモスペースのような
ところがあったら、そこで作ればいいのねえ・・などと考えていました。
日々、様々な発見と新しい情報を受け取り、
1日の終わりには、朝の自分が知らなかったことを色々知っている自分になっています。
たった1日でも、起きてから寝るまでに受け取る情報量というのは、
朝の自分を塗り替えるほど沢山あります。それだけ与えてもらっているはず。
なのに、そのなかでまた思考を巡らせ、自分の弱点を見つけ羅列していく時
というのは、何にいたずらされているのだろう、とさえ思います。
企画している体験レッスンの広報さんから、ふるわない連絡をいただいたり、
成長を期待し希望を持って接してくれる方がいてこそのmasaの未来なのに、
有益性を期待されない(保護されるだけの)存在として我が子が見られることが
私自身の意気をかなり吸い込んでいくことを実感したり、
心の不安を掻き立てる体調然り。。。
明日の朝、またリフレッシュして目覚めることを期待して
今日は閉めたいと思います。