ラクダから脱出するために
隙間時間を見つけてはかじる『ツァラトゥストラ』の冒頭、
精神というものが、ラクダからライオンになり子どもになる
というくだりが、どうしてライオンを経由するのか、と
ひっかかっていたのですが、
ラクダ(=強くて耐えることができる精神には重い荷物が沢山与えられる。
畏敬の念が宿っている。そういう精神の強さが
重いモノを、もっと重いモノをほしがる・・・そして自分のやったことが成功した時にそれを捨てることもできない・・・
そして、汚い水の中へでも、それが真理の水なら入って行き、冷たいカエルがいても熱いカエルがいても、我慢する・・こんなことを全部背負う)
から直接子ども(=創造という遊びのために自分の意志を神のように肯定し、自分で動く)
に行こうとするから
結局ラクダにとどまってしまうのだということが
何となくわかってきました。
絵に描いた餅のように、‟子ども”を目指していても
一度解き放され、自由になることが”
(それが、畏敬の念を持った精神には最も恐ろしい行為であっても)
子ども”に行きつくためには必要な路なのだと
うっすらと・・。
でも、それを突き詰めて考えていると、結局思考を背負うラクダになっているのです(;´∀`)。
そんな自分を励ます、本日のお題は
行動指針を‟心があたたかくなることをする”に持って行くことにしました。
偶然、本日のマヤ的アドバイスにも
‟すべてを喜びに変えていく柔軟さ”を目指すとあります。
今日はこれで行きましょう♪。
みなさま良い1日を。