~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

masaの読書

昨日、朝という時間に近いころまで起きていたせいか、
今日は1日がmasaにリードされるまま、ただ起きていたような眠気と共に
時間が流れていました。

頭がクリアでないときは取りあえずレース糸を編んでいる手元を
動かしながら、masaの隣りに座って彼が音読している本を聞いていました。

最近、いつの間にか‟読書”の時間というのがmasa
1日の習慣の一つになっていて、図書館や書店で適当に選んだ
小説やエッセイを彼の定位置の前に置いておくと、ジャンルを選ばず手に取って
音読してくれる、という私的にちょっぴり楽しみな時間になっています。

これまで、絵本や児童書など、内容が分かり易そうな本を選んだり、
様々なものを置いてみましたが、私が働きかけた時以外は
いつもいつも同じ遊園地のガイドブックやマップをめくっているだけだった
彼が、ここに来て急に「本を読も。」。
活字だけの普通の書籍を自発的に読むことが始まったきっかけは何だったのだろう?

お話を楽しむとか、内容云々ではないような、
どちらかというと、お弟子さんに「何でもいいから」と本を買いに行かせて
その本をジャンル問わず読むというビートたけしさん風な読み方に近い。
ああ、でもこの読書傾向というのは、彼に合っているかもしれないし、
取りあえず、とても良いことのように思います。

今日の本は『植物になって人間を眺めてみると』というエッセイでした。
この本を図書館の書架から選んだのも彼本人。
(まあ、随分と直観的、というか適当な感じで選んでいましたけれど・・)

焼畑農業、とか熱帯プランテーションでのサトウキビ畑、などの話。
(サトウキビって、収穫してすぐに加工しないと発酵して使いものにならなくなってしまうの
ですって。。。と知らなかった豆知識などをいただく傍らで、)
恐らく半分以上は思考が内容についてきていないのではないか、と思われる
この手の文章を自ら読んでいる彼の心理をまじまじと観察する母です。

少し話がそれますが、
昨日、馬の管理・指導をしてくださっているNさんから
ある成年の自閉症の方が肺炎になってしまった、というお話を伺いました。
その肺炎は誤嚥性のもの、つまり行動抑制のために服用している薬の影響と
40代という加齢による嚥下機能の低下のために起きてしまったらしい
肺炎なのだそうでした。

病院で点滴をするとか、知らない病院に入るなどということ自体が
情緒不安の原因になるであろう重度自閉症のヒトが、心理的な悪循環で
おとなしく点滴を受けられないなど、となると医療行為が無理という判断で
病院に断られてしまうそうです。

その先は、精神科と併設、(つまり拘束設備があるところ)の病院を探すしかない、となるそうで、もともと服用していた抑制剤から離れることは更に難しくなり、・・・
となると誤嚥の危険と背中合わせを承知の上での投薬という先が見えない
循環の中に入ってしまうそうです。

程度の差は勿論ありますが、
同じような性質のmasaが、一方で見える世界を本で広げようと模索する機会を
与えられている姿を見ながら、その土台に‟健康”があること、
薬を飲む必要のない体を維持できていることの重要性を
感謝と共にひしひしと感じました。

勿論、そのような展開の可能性を幼いころから危惧して
病院にかからなくて良いように予防(=早寝早起き朝ごはん(*^-^*)。+歯磨き)
を意識してきたのは前提ですが、現在のmasaの身体があるのは
数々の幸運のもとに成り立っていることはいうまでもありません。

音楽もランニングもそうですが、読書という繊細な発達への扉を日々の営みの中に
見出すことのできる健康という幸せは、本当に感謝しなければならない、と
思うこの頃です。

夕飯クリップ☆彡

朝ドラの『まれ』で、貧血に倒れたまれちゃんがジャガイモをかじって
         「おいしい・・」という場面を見てしまった今日、のジャガイモです。
         ひき肉玉ねぎと、トマトソース+チーズで重ね焼きになっています。