奏者に求めるバランスの難しさ
我が家は山が近くにあるせいか、家の中でラジオが入りません。
アンテナを立てて部屋を歩き回ると、ところどころまだらに電波をひろう
スポットがある事を最近発見して、深夜のラジオを時々鳴らしています。
といっても、各局の放送を選ぶほど電波は飛んでこないので
チョイスはNHKと民放1局づつです。
聴けるものを聴く、という感じだと「今日はどんな番組だろう」って
かえって楽しみになります。いうなれば学校給食効果です。
そんな風に耳で拾った会話のなかで、
「よい‟踊り”というのは、見ている人が思わず踊りたくなるようなおどりである」
「良い役者と言われる人も、完璧な麗人ではなく・・」
「良い歌も、聴いている人が思わず歌いたくなるような歌」、つまり、
非の打ちどころのない完璧な歌や踊りは、その高貴さゆえに観衆を驚かせることは
あるかもしれないがそれは緊張を呼び、意外に人の心に飛び込んでこない、という
ようなお話がありました。
完璧、という表現がどのような側面を示すのか、意味合いを追及するとややこしくなりますが
この一言はなるほど、奏者がつたえるものは、作品の内容そのもの以上の
‟スキ”、というような‟人間味”(ある意味の未完成性)の中にある表現や感情などであり、
回りの空気を一体とする要素はそちらに起因する部分が大きいということを
ふと気づかせてくれるやりとりでした。
練習に関わる立場のとき、
楽器を鳴らす練習をする、という媒体として演奏している曲を
美しく響かせることに行きつくための細かい指摘と並行して
どのように弾きたいと思うかという気持ちを膨らませることを同時にすることの
難しさを時々感じる自分にとって、奥深い会話に聞こえて
まだしばらくの命題になりそうです。
さて、本日のごはん。
急にホタテのグリルが食べたくなり、即実行。
スープは小カブとホタテです。ハンバーグはmasaがこねました(*´▽`*)。
町村氏、いくよさん、など有名な方の訃報が続いてるこのごろ、
自らの身体の無事を感謝とともに維持できるよう心し直す今宵です。