~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

運動会練習の中の‟多動”について

今日は午前中の早い時間から外の空気がもや〜っと暖かくなっていました。
昨日、夜の暖房を切ったばかりなのに・・極端な気候です。

庭の水やりをしながら、雑草と呼ばれるコたちが花をつけていたので摘んできました。
            
こんなに小さいのに、目一杯の外の陽気を部屋に運び込んでくれます。
野草大好きです♪。

明日は市内のほとんどの小学校で運動会のようで、通りがかったグラウンドでも
学年で練習をしている様子を見かけました。
長い信号に引っかかって、その様子を見ていると、約1名明らかに多動君がおりました。
整列して先生の指示を待っている列からはみ出して走っていってしまったり、
立っている先生にじゃれ付きに行ったり、と気ままに体が動いてしまうように見えます。
よく見てみると、大人の中にその子のお母さんなのかサポーターさんなのか、
その子に付き添っているらしき大人が一人いるようでした。

masaがここで練習をしていた時代、私も同じようにそこにいたので
お話ししに入って行きたくなりましたが、一応授業中に部外者が入って行くのも不謹慎かと
思い、「(がんばって)」の気持ちで暫くその様子を見守っていました。

その男の子の動きはかなり頻繁で、走っていってしまって少し遠いところで遊んでいると
お母さん(?)がその子を抱えてもとに戻します。
またすぐにはみ出して、違う行動をすると、また後を追ってその子を抱えて矯正しようとしていました。そのように、身体だけをもとに戻しても何の解決にもならないことを
親なら知っていると思うので、その大人はお母さんではなかったかもしれません。

その子の付き添いという立場でそこにいる以上、
行ってしまった問題児を見守るだけでは、役目が果たされないと感じてしまうのが
大人の都合というもので、‟お仕事”として大人が介在すると、
このようなエンドレスの展開が推察されるので、子ども同士のサポーターではない
外部の大人がサポート専門につくことに
本人と環境にとって良い点はあまり無いと思います。

当時のmasaはその子と比べると、そういう行動は少なかったという記憶ですが、
当時もADHDとされるお子さんで、動きが激しかった子がもう一人いて、
でもそのころは、学びのサポーター制度もなかったし、お母様もたまにしか
つかれなかったので、いつもはみ出して好きなところで好きなことをしている感じでした。
担任の先生が、1時間の中で1,2回声をかけに行くくらいでした。
集団的行動ができない、という症状に対しては、このくらいが
お互いにストレスを大きくしない、ちょうどよい距離感なのだと感じます。

ちなみにその彼は、専門学校まで進学し、
オタク的に好きなバスの会社に入って運転手になる夢に近づきつつある今があります。

その彼やmasaがいた、あの頃と同じ風景が今もあることをむしろ懐かしく見ながら、
その子の本当のお母様と繋がれたらいいのに、と思いを馳せるひと時でした。

今日の夕飯も気づいたら9時一歩手前でとりかかり、あまり美しくないトータルになって
いますが、一応アップします。   
ちょっと気に入っているのは、‟大根+ハム+わさび”です。
これは、もう少し大き目に切った大根一本をわさびと一緒に巻いてもおつまみに重宝です。

やっと道産のキャベツが出てきたので、コーンと一緒にたっぷりスープに入れました。

夜、ソファのとなりに座っているmasaに本を読んでもらいました。
幸せを実感できる時間でした。ありがとう・・・。