~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

敬意を持って肉体を扱う

‟膝が安定する”というコピーにすがりたくなり、注文していたサポーターが
届きました。   
つけてみたら、思っていた以上にしっかりしている、というか
しっかりしすぎて、あしにギブスを巻いたみたいになっちゃいました。
でも、気のせいか、ひざが守られているような感じはあり、
しばらく使ってみようと思います。

サポーターのお蔭で少し勇気を持った動きができると思ったとたんに
お風呂掃除やダンボール・新聞まとめなど、手を付けられずにいた作業に
次々と手が伸びるから、不思議です。

ふと、思い立って、以前チェックしていた文章を読み返していると、
‟内にため込んでいることがあると、それは必ずネガティブエネルギーになって
外に放出される”というのがありました。
これは、主に精神的な葛藤について述べられた言葉ですが、
このところ、なにか鬱々とした状態になり、外で起きることに過敏に反応して
イライラしたりということも起き始めていました。
気付いたところを、その場で片付けて行けるという、普段なら当たり前のことが
膝のせいでなかなかできずにいたという、こんな些細なことも
ため込む、という意味では同じこと。これも一因だったのかもしれません。

先に挙げた‟葛藤”について述べられた文章には、
  
  肉体を本当に敬意をもって取り扱うならば、体の組織の中にこれまで溜め込んできた
  葛藤のエネルギーを解放することができる”とあり、

(翻訳文なので、筆者の意図するところの全てが網羅された表現ではないとして
この言葉通りにだけ理解するとしても)、
人生に起きる厳しい試練に生きること、社会で生きるために「必要とされていること」
ばかりに意識を向けることを重要とするうちに、体の声を聞く、という本質的なことを
おざなりにしていないか、と問われているように思います。

身体に敬意を持って取り扱う、ということが思っている以上に
自分のハートの望みを現実化するのに必要な直観に繋がるポイントなのだと
知らされているような1日でした。
          
痛いのは、怪我のせいでも、年齢のせいでもないのかもしれません・・・・。
               
               
             本日のお気に入りは、手前の「カモミール」です(*^-^*)。