初めて電話に出た!
東京大空襲は70年前の今日だったと報じるニュースの画面で
慰霊祭で式辞をのべる総理や大臣が戦後生まれである絵を実際に見ると、
戦争を体験している人から発せられる断固とした気持ちが
そこには存在していないように感じてしまうのは、私の見方が偏っているのでしょうか。、
今日に続き、明日も11日。
多くの犠牲者の方を追悼する日が続きます・・・。
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災害に備える、という事をふと考えると、
不測の事態が発生したとき、互いに連絡を取りあう、という基本的な部分で
私たち二人は大きな壁にぶち当たります。
電話を(自分の意志で)かける、ということも、受ける、ということもmasaにはできないからです。
それが今日!!
生まれて初めて電話をとったmasaがいました。
私の不在時に鳴った家の電話をとったそうです!
これはすごいことなんです。
その相手が私の母だったので、その後のやり取りについても知ることができました。
応答情報の正確さには欠けますが、ある程度のやりとりも成立したらしく、
会話が成立しにくいmasaにとって、これもすごい!!
しかも、私が帰宅した直後に、「お婆ちゃんのでんわ取った。」と報告もしてくれて、
これもすごい!
母へのインタビューでわかった会話の内容を聞きながら
まだらに正しい情報が入っている内容に思わず笑ってしまいました。
母 「あら、一人でお留守番なの?お昼ご飯は食べたの?」
masa「食べた!」 (食べてません・・・)
母 「あ、そうなのね、それならお腹はすいてないのね?」
masa「おなかすいた!」 (2時現在、実際まだ食べていないのでこれは正しい・・)
母 「そうなの。そしたら、カップボードの扉の中にお菓子があるから、おやつ食べなさい。」
masa 「ハイ」 (これで、自分で何かを選んで食べるmasaではありません・・
これができればもっと安心できるのですが)
母 「お母さん、どこへ行ったの?」
masa「整骨院。」 (惜しい! それは夜の予定でした)
こんな調子です。
内容は伴っていませんが、会話の形はかなりそれらしくなりたっていて、感動です。
とにかく、電話をなぜ、とろうと思い立ったのか、きっかけはわかりませんが、
これができるようになったら、私も外から電話を使うことができるようになる可能性が
生まれます。
今後の彼の行動範囲や安全確保へと、大きな希望が膨らんだ喜びを
普通の方が理解するのは難しいかもしれませんが、
大きな一歩が踏みでた今日を心から感謝し、
‟初めて電話に出た”記念日として記しておきたいと思います・