~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

伊達公子の『幸福論』をめくって

書店でブラウジングをしていたら、
クルム伊達公子さんの『幸福論』という新書が目につきました。

パラパラとめくっていくと、
‟好きなもの・きらいなもの”というリストがあって、
‟好きなもの”の中には テニス(ただし試合だけ)
‟嫌いなもの”の中には 練習 とありました。

そうなんだ・・・
これが、本番(試合)がメインの現役を続けれらる最大の理由なのかな、
と大きくうなずいてしまった私。
これって、他の分野で‟本番”があるものでも、共通しているところが
あるような気がします。

‟全身全霊”で臨む者同士がぶつかり合う瞬間に得られる充実感は
それまでの練習を含めて費やしてきた時間が、始めて有意義なものに変容させてくれます。

結果にこだわりすぎると、恐怖にも変わり得る、本番の舞台が
”好き”かどうかということは、その後また本番に向かいたいと思うかどうかの
重要なファクターである、と当たり前ながら
確認していました。

そういえば、フジコヘミングも同じような事を(練習が嫌い)と書いていたことを
思い出します。

練習がうまくて、本番が苦手なタイプの人が一方にいることを
思うと、突き詰めていく‟本番”を設定できる環境にいる幸福を
あらためて感謝したいという気持ちになります。

学生時代の自分は、まさに、練習のために練習してるパターンで
そのような自分をよく反省していたものです。でもその理由がよくわかっていなかった。
きっと、テニスにしてもピアノにしても、
練習と称してボールを打っていること、音楽を奏でていること自体に興じていて
自分が行きつきたいところに行きついていギャップをあまり具体的に
イメージできていないために、苦痛が少ないまま練習を終えてしまう、
という事だったのだと思う・・・。

今、masaとの練習と本番を通してきて、やっと伊達さんのこの分類に
大きくうなずける自分に変化したことを発見した思いで、
クリアしたい課題を次々に見つけられることを、感謝しようと
改めて思う今宵です。
              

幸福論 (PHP新書 945)

幸福論 (PHP新書 945)