真剣さを伝える方法であっても
昨日引退を表明した フィギュアスケートの高橋大輔選手の演技映像が
今日は1日中流れていました。そこで耳にしたキーワード、
「期待」するのではなく、見守り応援してきた。・・・(お母様の言)
最近偶然手に取った本でも、『期待』への注意が書かれていましたので、
意識に上がってきました。
子育ての時代はもう終焉に至り、もう縁がないと思っていた
子育て関係のタイトルですが、著者が馴染みのあるお名前だったので手に取って見たこの本、
わかっていながらあまり重く考えていなかった部分がいくつも指摘されていました。
最もハッとしたのは 「怒り」という表現方法は親からしか受け継がない ということ。
心配あまっての「怒り」であっても、‟外の世界”に出た時の人々の反応として教えているつもりであっても、
自分自身に「怒り」という表現が、親を通して受け継がれていなければ、それを表すことはできないというのです。
例えば、子どもが帰ってこなくて心配していた時、帰ってきて「ああ良かった」と言うよりも
「もう!どうして帰ってこないの!」と言ってしまうことも「怒り」として表してしまっている例。
私は、自分の真剣さを伝えようとする時の手段として、「怒り」と使っていることがあると告白します。
でも、これは受ける側に「真剣さを訴えたいときは‟怒り”を使う」ということを
教えていることに他ならない・・・。
自分の表現方法の一つとして「怒り」を教えていたことを、心の底から反省しました。
masaは全てを「はい。」「はい。」と素直に受け入れ、誰かに怒りを表すという事は
今のところありません。。。
でも、次にであった他の本の中で、
‟おさえつけられた「怒り」(=脳のストレス)は身体の痛みとなって出てくる”
というくだりが現れました。
masaは今のところ、どこも痛そうではありません。
彼の寛大さに敬服するばかりです・・・・。
前述の本の一節を引用すると、
『素直に生きると無敵になる』とか
『恐れや疑いがなくなり、愛100%で生きていると、必要なものはすべて与えられる』とか
『無邪気さが大いなる癒しをもたらす』とか、
『所有の概念や自我がなくなると、人は光になる』
ということなでど、子どもと言う存在自体から、人生において本当に大切なことを沢山学べ るのです。
とありました。太字にした部分は、masaを知る人が見ればわかりますが
彼そのものの姿でした。
「怒り」の表現に代表される、私自身の心の中の傷に気づいてきたこの頃なのに、
私は、こんな、太字にしてしまうほどはっきりと目の前に存在する学びの対象に
自分のトラウマのバトンを渡してしまっていました。
そのご当人のリクエストでお昼はタイカレーでした。(レッドです)
生キャベツは、自分が久しぶりに食べたくなりました。
ちゃんとお家ご飯を食べて、ちゃんと教える、としているつもりだったのに、
余計なことを教えてしまっていた自分です。
(前著抜粋)・・・ですから、普通にこどもを育てていたら、あなたも「良かれ・・」と思って、
自分の親から受け取ったネガティブなバトンを渡してしまうことになるのは避けられません。
(あら・・お見通しです)
とにかく、これから先の‟変身”で、これまでの間違った態度を何とか穴埋めしようと
考える今宵です。
様々なメディアを通じて、教え導かれていることに感謝です。