~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

8月15日の甲子園

終戦の日を知らない人が100人中52人(若者へのインタビュー)って!
テレビが言っています。
そうなのですね・・・・。

甲子園で躍動する選手達の姿が、この頃
戦時中、駆り出された若者たちの、立派な心身の姿と重なって見えてしまう
のは、私だけでしょうか?
筋肉がしっかりとつき、体を鍛えるために日々鍛錬し、
やっと立派に育ったかけがえのない一人一人が、何百何千という束にされて
戦地に投入されていった当時のことが
とても現実にあったと思えない、と感じるほど逆にリアルに想像するようになった
自分です。

わが子が同じような年頃に成長し、日々その立派になった身体を感心しながら
見ているからかも知れません。
野球の中で見せる、球児の若者らしい表情を美しいと思うたびに、
兵士たちが様々な場面でみせたであろう表情を思います。

少し前までは、戦時中の話を聞くことが好きではありませんでした。事あるごとに両親に聞かされて育ったせいもあると思いますが、その影響で戦時下を舞台とした話やドラマも
どちらかと言うと嫌いで避けていました。
私が聴いて育った当時の体制下で制約された‟個人”は、自由を閉ざされる恐怖の中を生きている感じで、今の自分を重ね合わせて考えられる部分はありませんでした。

でも、この歳になってやっと
そこにいた人々が、現代を生きる私たちと同じように‟普通の”生活をおくっていた
(心までは制約されていない)普通の人々だったとわかるようになり、
戦時中の実話やドラマを見る際も、一人一人の‟もと日常”に寄り添う感覚が生まれ、
あまり好きでなかった戦時中を舞台にしたドラマも観るようになりました。

強烈な時代の情景は、反応する自分の心の傷を浮き彫りにするのかもしれない、と
後になって気づいている自分もいます。
                

甲子園で、お揃いのユニフォームを着て、堅強な若者が揃って野球をしている
平和の象徴そのものの映像をいつまでも観ていたいです。
この平和を深く感謝する、8月15日です。