~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

37時間の旅

木曽川の向こうめがけて出発した朝、
まずは
乗客全員の団結(?)により、飛行機が早発で、見えない手の後押しを感じたスタートでした。
途中では、久しぶりの富士山を望むことができ、
八江お婆ちゃんが、力を尽くしてくれているから間に合うかもしれない、
と感じました。

空港からの連絡特急スカイライナーは、目的地駅到着が13時36分。
出棺が2時丁度だと、途中で聞きました。
次の御葬儀の予定が詰まっていて、待っていただくのは極めて難しいという事も併せて。

時刻表をそのまま見ると、空港駅で40分以上待たなければなりません。
そのロスを何とか縮めることができれば・・・。
何か別の手段もあるかもしれないと思い、前日の夜にこの状況は母にメールしておいたのですが
当日の朝、このメールを見てもらっていないかも、と感じ
別の叔母にも同様のメールを送ってみました。
すると、空港についた時、父から電話が来ていました。
別方面行のスカイライナーに乗って遠回りの乗継ぎ経路があると、助言が来ました。
「ありがと〜」
その、目的を名鉄の窓口さんにお話しして、一番早く着ける乗継経路が別にあることが
わかりました。途中の乗り換えで17分待つものの、13時22分に着けます。
14分の時間短縮!!!

駅から乗ったタクシーさんにも、当然ながら最善のご協力をいただき
葬儀場に到着したのが13時35分でした。

もう、諦めていた式中でのお焼香にも間に合いました。
おばあちゃん、小さな体で力いっぱい追い風を送ってくれてありがとう!!
お陰様で、お婆ちゃんのつやつやの本当にきれいな肌のお顔に会うことができました。
箱いっぱいのお花に囲まれたお顔のそばに
朝、庭で摘みとって持参したバラの花びらを、沢山散りばめたい、という思いも
叶えることができました。

会葬の皆様も、私たちの到着を本当に心配し願ってくれていたようです。
八江お婆ちゃんを筆頭にして全員のお気持ちで、私たちの会葬が間に合いました。
これ程重みのある14分に感謝するのは、初めてです。
ありがとうございました。
             
masaと二人分のお別れの手紙。
自ら発した病は一つもなく、全く自然に無事にしていれば、
まだまだ丈夫で病気知らずの身体と心を持っていたお婆ちゃんへの
敬意は、この節目にその大きさを感じています。
101年間10か月ではもったいないくらい、丈夫な身体でした。
そして、私が生まれた時から‟おばあちゃん”だった彼女が
声を荒げたり、不快そうにしている様子を見たことは一度も見たことがありませんでした。
「こうしなさい」という言葉も一切使わずに、上手に見せ、守り、教えてくれる人でした。
‟おばあちゃん”というのはそういう人なのだと思って生きてこられたことへの
感謝と合わせて、お礼のご挨拶を書きました。

一夜明けて、今朝
朝一番のお線香をあげることを許され、お婆ちゃんのお家に入ると
もう、しっかりとお婆ちゃんがそこに居る空気になっていました。
「おじゃましま〜す」と言いながら、仏壇周りをごそごそと
お線香を探して、新しい線香立てに灰を入れて、
お水をそなえてお線香をたてました。
すると・・
背後からる〜るる〜んる〜るる〜ん、と優しい音楽が鳴り始めました。
音源を探すと、時計かな?
思わず「どういたしまして♪」と
会話してしまいました。
帰りの窓の空は雲の絨毯が輝いて見えました。
           
           
移動を含めて37時間という、2日にも満たない時間の中で
少ない親戚が一同に会し、あちこちで思い出話をあちこちでワイワイとして、
その空間に間違いなくお婆ちゃんが同席していることを
感じられるような様々な現象とコミュニケーションをとりながら
一つ一つの儀式を心に刻むことのできたことに、心から感謝しています。