~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

運動会の記憶

買い物の道すがら、こんなに大きなお花に遭いました。牡丹かしら?
写真だと、大きさがピンと来ないのですが、一輪が顔より大きいくらいの
大きな大きなお花が、夏の様な気候を喜んでいるように見えました。
          
今朝がたまで起きていた眠気がどこかで出たらお昼寝しよう、と腹をくくっていたら
結構元気で、たんたんと1日を過ごすことができました。

お庭もまた、すこし枝はらいなどをして。
また、少しお花をいただきました。
庭作業中の‟きょうの運動会”は、アナウンスの練習のようでした。
運動会のアナウンス係や応援団って、一度はやってみたかったのに、
どうしてやらなかったんだろう・・って思い起こしてみたら、
自分の学校では、リレーや長距離など、代表種目に出る人は並行業務に支障が出るので
できないことになっていたのでした。
(その分は今、もっぱら‟応援団”専門として(♪)、しっかり楽しませていただいてます(^^#))。
子供の頃は、運動会なんだから、走る‟選手”として、たくさん出番があることに意義があると思っていて、恐ろしいほど単純でした。普段なかなか誉めてもらえない父から、唯一認めてくれる言葉を貰える日だったので、後のコメントを意識した姿で走っていたのを覚えています。(けなげ〜)

いつもと違う家族が沢山見に来てくれるから、特別頑張ったりする運動会。
でも、一方で、
その家庭の状況の差を目の当たりにさせられるのも、運動会です。
お婆ちゃまもお爺ちゃまも一緒にお弁当を食べる島もあれば、場所を確保してくれる家族が
いない子どももいます。
孤独な家庭の者にとっては、普段の参観日の数倍、その格差を表に並べられる気がするとおもいます。朝の場所取りのためにグラウンドに並んでいるお父さんの行列を見ると
そのお父さんがいない家庭のことを思います。

お婆ちゃま達が来るから、工夫したお弁当をたくさんつくらなければならない苦労を話している会話を耳にはさんで、なぜが己の寂しさスイッチを押していた記憶もあります。
普段は見なくても済む‟隣の芝生”と並んで小さいお弁当箱を囲んでいる親子や、家族が来られなくて先生とお昼を食べる子どもにとっても、運動会は特別張り切れる、やりがいに満ちた行事となることを心から願います。

さて、アナウンス練習の台本上は,白組が勝利したようです。おめでとう(*^-^*)。
いつも赤組が勝ちますから、練習ではせめて、というところでしょうか。
これもまた、なぜなのでしょう?
とランダムなのか赤白って、背の順でならんで交互に赤白になっていくのでしょう?、
最初の人が赤次の人が白、ということは、赤の人が白の人よりちょっとだけ大きい人が
入っているというだけで全体の結果がこんなに偏るものなのでしょうか。
面白いです。

今年の本番の勝敗はどうなるのかしら?

さてさて、今日の夕ご飯は、
カブと春菊のサラダでした。ゆずの果汁をお酢代わりにして、ごま油で和えました。
ゴーヤチャンプルーは、途中で豆腐がないことに気づき、
代わりに玉ねぎと油揚げ2枚を使いました。これが予想以上に甘くて美味しかった♪
ホワイトアスパラはグリルでやいて、醤油マヨ鰹節。旬だから間違いのないお味でした。
みんな、ありがとう〜。
             
久しぶりに9時前に夕食を終えることができました。

二人で食べる夕食がどこまでも孤独に感じていた時代を経て、
それも自分の感じ方次第。
運動会でお弁当を食べる場所をとっておいてくれる家族がいない
ことも、「場所取りしなくて楽でいいわ〜」、と知人の島に入れてもらうことで
人生の楽しみを広げてくれると学び、
そうした学びのお蔭で、自由で豊かなご飯と、たまにはそれを分かち合う友との時間を
手にしています。
思い出の一片は、どれも感謝に結び付くパーツになっていました。

ありがとうございます。