~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

十界を行きつ戻りつ・・

この頃、寒いせいもあって、少し遅くなっても
お風呂に浸かって温まる時間を長くしてポカポカになっています。
乗じてお風呂読書が流れになりつつあります。
お風呂のふたを殆ど閉めて首だけ出して入り、
ふたの少し向こうの方に本を置いて読むと
蒸気が当たらずに読めるので本がヨレヨレになることもありません。

このゆったり読書の中で見つけた空海の言葉です。
  十界の有るところ、これ我が心なり。
十界=10の世界は、最高位から
如来」の世界=この世のものには全く執着がない、
「菩薩」の世界=縁のある人が苦しんでいたら自分を犠牲にしてでも助ける
「縁覚」の世界=瞑想で自然の摂理を身に着ける
「声聞」の世界=お釈迦様の道理の方を信じる人の話に耳を傾ける
    (ここまでが善玉の世界で、ここから悪玉の世界なのだそうです)
「天上」の世界=天上には天女が住んでいますが、彼女たちはいつも有頂天で人の不幸を知らぬ顔の世界です。
「人間」の世界=毎日を四苦八苦して生きている。
「修羅」の世界=争い事が大好きな世界。
「畜生」の世界=弱肉強食の世界。生き物の命を尊ばない。
「餓鬼」の世界=美食をし、きれいな服を着て、豪邸に住んでも欲求不満の世界
「地獄」の世界=良いことは自分のせい、悪いことは他人のせいにして、常に他人を攻め憎む。

空海は、人の心はこの10の世界を休むことなく行きつ戻りつしていると説いています。
‟行きつ戻りつしている”というところが、うまい!その通りだな〜と感心しました。
天使のような人はいますが、人間である限り、人に迷惑をかけない中でも「餓鬼」に
なったりすることもあるでしょう。
さっきまで「菩薩」だったのに、家に帰ったら‟誰のお蔭で生活できていると思ってるんだ”と「修羅」になる人も居るでしょう。

朝目覚めてからかなり長い時間まで、すっきり平安に生きていられたと思っても、
何かに夢中に取り組み始めて時間の制約やこうしておきたい、というエゴが出始めると
自ら世界を下げてしまうことも多々ある私には、なんとなくホッとするお言葉です。

自らが、このどの世界に行くかをふらふらと決めながら生きていることを自覚すると
安易に下げてしまわないように、とも思えるし、
うっかり下げてしまっても、‟行きつ戻りつ”してしまった〜と楽観できる気もします。
お陰様で、比較的落ち着いて1日を使えた今日に感謝です。

ありがとうございました。