~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

対話

昨夜、遅くまで電話していたのが影響したのか
すっかり朝寝坊してしまったので、朝食に近くなってしまったお昼ご飯は軽めに
クラッカーにしました。
          
チーズとドライイチジクの組み合わせは
満足感いっぱいです♪。
ほうじちゃラテと合わせて。

さて、昨日の電話もそうなのですが、この頃依然よりも対話をする機会や時間が
ぐーんと多くなっていることを感じている日々です。

子供の頃は、とてもよく話をする家庭で、
互いの主張が白熱しすぎて母と涙交じりに話したりすることもあったのですが、
外では決して社交的でない私は、独立して
家族におしゃべりな人がいなくなったとたん
一人で考えを構築していく時間のほうが圧倒的に多く、
またその方が心地よく感じていたのでしょう。
プライベートはそんな状態のまま
30年近くを過ごしていたように思います。

それがこの頃、長くお話しする時間がまた増えていると感じます。
お話し相手と機会というものは、望んで持てるものでもないので、
対話を通して自分に必要なものを与えてもらっている時期なのかな、と
しみじみ感謝しています。

今日はmarrie先生と、そして電話では母とお話タイム。
masaはいつも黙ってそばに座っています。どんな風に聴いていたのかな。
想えば、私にはmasaという存在がいつもそばで見ていてくれるお蔭で
食生活も、話す言葉も、考え方も律されている部分が大きいと思います。
いつも正直に自分を表していようと努めるのも、前向きに反応できるのも
あるべき姿でいたい、という気持ちが無意識に働いているからかもしれません。
そういう意味では、私の言動をいつも見届けてくれている彼は、
わたしにとっての生きた神様です・・・。

でも一方では、彼を自分の保護下に置いていることが、いつの間にか
彼のため、から私とmasa双方のため、に転じ、更には‟私のため”の方に傾いてきているのではないか・・・
もっと彼らしい独自の生活ができるようにしていくこともできるのではないか、と
葛藤がうまれつつもあります。
彼は、私との食事の時間、お茶の時間、嬉しそうにするけれど、
そんな平和な時間だけでは燃焼できないもっともっと楽しいこと(仕事でも、冒険でも、)をしに行きたい若いエネルギーに満ちあふれていることを
そばにいるとひしひしと感じるのです。

今日はこれとは全く無関係の対話をしていたのですが、
つまり、私が‟個”として他の人と繋がっている時間を感じるということが
masaに対する‟個”を尊重するという意識に波及しているのでしょう。
不思議な効果です。
彼に、もっと一人で手放してあげられる時間を作っていけるように、と
いうサインなのかもしれません。
子どもの‟個”を尊重する準備ができてきていることを
自然に感じられる生命エネルギーの不思議さを感じます。

今日の導きにまた感謝する今宵です。