~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

長い元旦

あけましておめでとうございます。
        
自然に早起きできた元旦でした。
 今年のお重は二人なので、浅くて小さいものにしました。
         
詰めるのも、片付けるのも、ずっと簡単。
二人でゆっくり、口取りまでのフルコース(?)

年賀状を見ににポストに行くと、悪天候のせいかまだ年賀状はなくて、
そのかわりに思いがけず届けていただいていた
先日の21日のコンサートのDVDがありました。
何も聞いていなかったので、とてもうれしかったです。
二人で、これを見返していた時間までは、のんびり幸せムードでした。

今朝早く起きてしまったこともそうですが、
どこかで、明日の初研修日にナーバスになっていて、
DVDついでにパソコンで明日からの研修の職場への通勤経路の
研究を始めてしまいました。
前回思っていたよりも、もう少し良いバスが見つかって
masaが一人で通うことが少しだけ現実的に見え始めました。

遅いお昼のあと、お年賀用のお菓子を求めに外出したり、

壁に貼っていただく用の名前つき写真やスタッフの方へのご挨拶文を準備したり、
ゆっくりと明日の荷物を用意しているだけのはずなのですが、
いつの間にか今日は、親の目の届かない外の世界で彼が受けるであろう対応と
同じ感覚で、彼につい厳しく接してしまいました。
お正月なのに、何度声をきつくしてしまったことか。

・・・私自身がナーバスになっていました。
思えば、彼が小さいころ、私はよくこんな感じだった気がします。
masaのことを全然知らない人が、言っていることが機能せず通じなかったら
こんな風にじれったく感じ、こんなふうに対応されてしまうよ、
というのをやってみて、学んでもらいたい、相手の気持ちを理解してもらいたい
という老婆心が発端であったけれど、声を荒げることは結局なんの必要もないことでした。

彼が成長して、‟人となり”を自らまといはじめた安心感のなかで
生活していたので、
私自身が今日のようになることは、ちょっと予想外でした。

遠いところに通う、というのは中のこと以上に
未知数に不安の割合を大きくしてしまうのですね。
ごめんなさい。

爽やかに、落ち着いた朝を迎えられたのに、
とても1日とは思えないくらい長く感じた元旦でした。

いいことをたくさん心に思って眠ろうと思います。
母の愚行を黙って見守ってくださった神様に感謝です。