~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

夢の世界

これ、今日のお土産(#^^#)です

通していただいたお部屋は、このチョコみたいに
ピアノが2台並ぶ美しい空間でした。

演奏する前に、少しお茶でも、と
とても美味しい緑茶をいただきながら目の前のチョコレートコンソールに
自然に手を伸ばすmasaは、もうすっかり‟嬉しい”で体中が満たされていました。
さて、いよいよ・・・、と
演奏をはじめてもこの嬉しさいっぱいの笑顔がはずれないのです(;´∀`)。
嬉しいのに「悲愴」感を漂わせるなんて、彼の辞書にはないのですね・・。
広いお部屋の遥かかなたの向こう側で弾いている彼は
母の、驚きと演奏のさき行きを不安がる視線に邪魔されることなく
自分の世界の中で曲を進めていました。

昨日憂いていたことが、今日はここで
試されながらも達成されていることに、曲中何度天を仰いで
感謝を呟いたことでしょうか。

小曲を含めて6曲を聴いていただき
私たちのテーブルに戻ったmasaを待ち受けていたのは
とても美味しいロールケーキと彼の大好きな紅茶でした。
彼には夢のような空間に思えたことでしょう。
穏やかな会話の中にいさせていただきながら、自分の演奏の良いところを
褒めて頂ける、というこの時間の経験は
演奏会とは全く違った彼の自信を育てる理想的な経験になった気がします。

心理状態は帰宅後すぐに反映されていました。
私が車の中に置き忘れた携帯に気づき、「とりに行ってくるね」
というと、masaが行くというのです。
こんな申し出、考えられなかったことです。
車庫に入るための鍵を持ち、地下に降りて、
開けたことのない車のキーを使って携帯を取りに行く、なんて
それを‟申し出る”なんて!!!
そして、「なかった」と言って帰ってきました。
いちいち驚くようですがこれもまたすごいことなのです。
私の知っているこれまでの彼の場合、探し物があれば持って帰ってきますが
見つからない場合、ない、と判断して戻るという踏ん切りがつけられず
そこでうろうろしてしまう、という行動をしていました。
ですから、「ない」と判断して戻ってきたこともすごいことでした。
でもそれを疑った私は、再度二人で見に行き、
彼が正しいことを確認しました。携帯は車にはなかったのでした。
この一通りの行動のすごさ、わかっていただける方にはわかっていただけると思います。

お昼に過ごした豊かな時間の中で起っていた彼の中の化学反応の即効性に
本当に驚きました。

更にその後、今日は結構弾いたはずなのに、
「なにかやろう」って(!!!)曲を何か練習しようとさそってきてくれました。
普段は「ハノン」ね。のように、既定の練習モードを自分でオンにすることはありますが
彼にとって「なにか」という抽象表現を使うことは普段なら難しいとされ
そんな言葉がするっと出てきたということは、上手くなりたいという意欲が
膨らんでいる証のように感じました。これは、乳幼児が発語した時と同じくらい
記録に値する一大事です。

ゆったりとした環境の中で、こころ満たされる会話の中で
自分に全てを任される機会を持ち、良かったところは言ってもらえて
それ以下の余計なことばは一切ない、という時間が育てるものがこんなにも豊か
であることを実感させていただきました。

そして、わかっているけれど、日常生活のなかでは何か余計なものをつけてしまったり、
実現できていないことを改めて認めました。

クラシック専門の大学の先生に、演奏を聴いていただいた後で
「楽器を始める年齢というのは、早くなくてもいいんだね・・。
・・その前に音楽的なベースを作っておくことが大切なんだね。」
とあらためて向けて戴いた言葉が私の心を温かく包んでくれるのを感じていました。

masaがピアノを通じて幸せを感じられる日が
これからも増えていきますように、願いを心に留めて
また1歩づつ重ねていけますように。
感謝でいっぱいの気持ちを、明日からの原動力にさせていただきます。
もう少し良くなるための日にちは残されています。