~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

青い空の下で気づいたこと

朝、向かう先には目の覚めるような青空がありました。
     
スカイブルーという名がふさわしい、どこまでも済んだ青・・・。
神様はどうやってこの色を発しているんだろう、と自然の芸術を
しみじみと感じる突き抜けた空色でした。

360度さえぎられることなく見渡すことのできる空を
当たり前に視界におさめることができるということ自体、都市部を思えば
とても幸せなことです。
植物だったら、同種なら太陽を必要とする度合いは大体同じなはずだけど
人類の場合、私ほどは日光を気にせず暗い落ち着きを好むタイプの方もいて、
ほんとにそれぞれですが、
私には、やっぱり広い空が必要です。

この子たちもきっと私と同じ。

このバラの花のそばに、赤い実のようなものが付いているのですが
これはいったい何でしょう?
バラの実なら、開花して花びらが散ったものの下が膨らんできて、もっと大きな
青い膨らみになるのですが、この赤い子は、蕾から直接実になってしまったみたいな・・
急に寒くなったから「おっと!!」と慌てて実を結んでしまったのでしょうか。
それとも、近くに実っているナナカマドの実をみて真似てみたのでしょうか(*´▽`*)。

何となく、秋っぽくて可愛らしいです。

少し伸びた芝生も刈って、少し肥料をあげました。
こうして、少しづつ気持ちを整えている自分がいます。

人や花に接するときだけでなく、モノにもできるだけ丁寧に接すること、
例えば、
畳んだ洗濯物を積み上げるとき、ポンって放るのではなくて
最後まで手を添えて置く、とか、
車のドアを閉める時も、惰性でドーンと閉めるのではなく
最後まででを添えて閉めるとか、
そうしていると、自分に返ってくる反応も変わる気がします。
ちゃんと対応してもらってるみたいに感じることが多くなります。

時間がせわしなくてその一瞬を惜しむ作業をしても
ちょっとした一言や最後の一瞬を雑にすることで得られる時間は
そんなに多くないみたいなんです。
ひとつひとつの所作の最後の一瞬まで手を添えられる余裕は
結局のところ自分の中に安心できる余裕を残してくれるから、
接した相手が自分にくれる反応をちゃんと受け止める余裕ができるのかもしれません。

よくわからないけれど、
ピアノのワンフレーズの弾き方にも、共通するようなことがあるな・・・と。
つまり、フレーズ終わりの最後の一音が次のメロディーを追って雑になってしまうと
結局次の新しいフレーズも新しく始められないし
前のフレーズもきちんと終らなくて、その辺りがどちらも‟音の羅列”で終わってしまい
音楽〜♪ではなくなってしまう・・・みたいなことです。

そういう余裕が奪われてしまうほど忙しいと思わせる脅迫的な生活は
本当は与えられている豊かなエネルギーを感じ、受け取ることを難しくしていたのかもしれません。
もう暫くこの当たり前のことを意識してみようと思います。
受け取るものがどんどん多くなるような予感がします。


光が与えてくれた小さな気づきに感謝です。