~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

障害者基本計画のパブコメ募集中みたいです。

今朝起きると、さっそく‟山の公園で遊べるイベント”に一緒に行かない?と
誘惑メールをいただいていました。(感謝です)

でも、今日は真面目に家で済ませるべき作業を進めることにしました。

午後は来年9月に開かれるある全国集会の準備委員会に顔を出してきました。そこで戴いた資料にこんなののがありました。

この秋には国連の障害者権利条約の批准を目指している政府が、8月9日の審議を打ち切ってしまった「障害者基本計画」について早く閣議決定をしたいためのパブリックコメントを求めているそうです。

この中で、子供の就学に関わる項目について、注目しています。
現在の案では、‟障害の有無によって分け隔てられることなく、国民が相互に人格と個性を尊重し合う共生社会の実現に向け…”と始まる文言とはうらはらに、就学先を決定するのは本人・保護者ではなく、教育委員会が行う仕組みを構築(現行通り)する、となっています。
この計画案は政権交代前には少しずつ前に進んでいたインクルーシブな社会をどのように統合した教育と結びつけ、充実させるかという観点から離れ、いかにスムーズに分離教育をするか、という姿勢に立ち戻っているように見えます。

これはたとえば、兄弟と同じ学校に行きたいと本人家族が希望しても、進む学校の決定権は保証されない、ということです。

(勿論、統合された教育の場では障害がある側もない側も両方に合理的配慮はされるべきです。)

何だか、固い話になってしまいましたが、
ご自身あるいはお子様の通常の友達に、誰か一人でも養護学校に通うお子さんがいるかどうか、考えてみてくだされば、一般の学校と養護学校などの間の深い溝を感じることができるかもしれません。発達障害として判定され、普通の学校や学級に不適格とされる子供たちの数は年々増えています。

例え何かの支援が必要だったり、個別の教育的ニーズがあるとしても、一般の人たちが子供時代の大半を過ごす一般の学校の中に入学すること自体を柔らかく、しかし強制的に否定されることを自分の身になって置き換えてみてくだされば、本人の人生に深くかかわる一大事項だと実感できると思います。
人は誰でも歳をとり、支援を受ける立場になる日が来ます。
みんなが生きやすい社会観の始まりは、支援を必要とする人も一緒の学校生活からだと感じています。

少しでも関心のある方は、意見募集期間がとても短い(8月24日から9月5日まで)ので詳しい内容をご覧になってみてください。
http://www8.cao.go.jp/shougai/keikaku3rd iken.html
(内閣府ホーム>共生社会政策ホーム>障碍者施策>もっと詳しく>基本的枠組>障碍者基本計画(案)に関する意見募集について)



静かで涼しい夜に感謝を込めて。