~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

木の痛み

今日は、雨もなかったので、庭木の剪定をしました。

サクランボの木は、脚立がないと届かないところまで枝を伸ばし、
でも、その枝を手繰り寄せて、切ろうとしたら、バキッと折れてしまいました。

「痛かったね、ごめんね」
大きな袋一杯分の枝を切り取り、仕事を終えたと思ったところへ、
管理人のおじさんが登場。
いつも大変お世話になっている、几帳面な方です。
でも、木や花に対しては考え方がちょっと私とちがうようで、
春の満開時期、花びらが飛ぶという理由で無断で大デマリの枝を縛られたりして、
悲しい記憶が新しい・・・。
でも、その時、花弁をお掃除するおじさんの立場になってみて我慢することができたし、
今回、早めに枝を減らそうとしたのも、そのことがあったからでした。

でも、私のやり方は全然足りなかったみたいで、
「それも、切って。」と庭に入っていらしたので、「今、こんなに切ったところです」
って言ったんだけど、もう切りたくて仕方がなかったみたいで、
私の手から鋏をとって太い枝をどんどん切り取ってしまいました。
のこぎりが必要なくらいの枝をはさみで切っていたので、
鋏が壊れてしまって、「もっといいの買わなきゃだめだ」って渡されて・・・。

サクランボは散髪をしてもらったようなすがすがしい気分になったでしょうか。
いえ、わたしには、痛みで悲鳴が聞こえるようでした。
今年は、工事の影響で庭の花木が痛めつけられるのを見ながら幾度も唇をかみしめて
こらえました。やっと、工事が終わり、気を取り直して少しずつ世話を再開しようと
動き出した矢先の出来事でした。

このサクランボの木も大デマリもそうですが
工事の日陰に入らず、日光をさんさんと浴びられた方の花木達は
庭が荒れて元気のない私のために、いつも以上に頑張って夏の成長をしてくれた
ように感じます。いつもより生き生きとして、私を元気づけようとしてくれているのを
感じる枝ぶりでした。
こういうコミュニケーションを理解する人がすべてではないことはわかっています・・・。

人がいなくなり、静かになってから、
可愛そうなくらい小さくなってしまったサクランボの幹を撫でながら
「痛かったね。早く切れてしまったところの痛みがなくなりますように。
枝がなくなった分、太くなってね。」と謝っていました。

家の中では、明日の子供祭りに向けて
カーリングゲームの準備。
そうそう、景品のポップコーンを大量に作っていたら、
IHヒーターの黒い焦げ付きがピカピカになりました。
これまでのどのクリーナーより効果的。
熱したフライパンを30分くらいずーっとゆすっていたからですね。
これからは時々ポップコーンを作りましょう。

明日はたくさんの子供たちと(大人たちとも)楽しい時間を作れますように。
もうすぐ退職されてしまう管理人のおじさんの
好きなところをもっと目にすることができますように。

どんな事があっても静かに許してくれる植物たちの寛大さに感謝する今宵です。