~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

ちょっとした傾斜の違いが生み出す困難

今日は車なら15分くらいで着く動物園に、電車とバスで行ってみました。

通り慣れた森の景色や住宅街の街並みも、
バスの路線を辿りながら眺める車窓はまるで観光気分。
とても新鮮で楽しかった♪。

白熊の双子ちゃんも、オオカミも、蒸し暑さに石と化して(^-^;
オブジェ化していました。
涼しげなミストを浴びていたこのキリンさんは生き生きとしていたけど。
広場では四葉のクローバーを見つけてもらい、
「わーい、うれしい!」と子供のようにはしゃいでいました。
空気や光を通してたくさんの幸せを受け取れるけれど、
形のあるものが目の前に現れると、
特別に目の前に差し出してもらったような
気分がするものですね。

動物園って、山のすそ野にある所が多いですが、
この順路の傾斜が、三歳児の足にはまだ結構きついようで、
お供していたAkariちゃんが上り方向を歩く時の顔が
明らかに怒っているのが面白かったです(*´▽`*)。

この、傾斜の微妙な差は車いすの方にもとても影響することを
午後に見た映画で知りました。

〜『逃げ遅れる人々 東日本隊震災と障碍者』 監督:飯田基晴〜

震災に生き延びて、避難所に行くも、
ベッドがないと移乗できない車いすの方は
ベッドが入るまでの一週間、横になることができず、
ずっと座ったまま寝ていたそうです。
また、入居した仮設住宅にスロープがなく、デイケアのバスが来る週2回しか
外出ができない方もいました。要望を出して1年後にスロープがついたものの、
その傾斜がきつすぎて、介護しているお母さんの力では押せず、
結局外出できない状態は改善されていないなど。
このようなことは、スロープを付ける際に当事者の生活状況を見に来ていれば
回避できる簡単なことのはずです。少し短いスロープでも、ぎりぎりの幅でも大丈夫な
人もいれば、電動車いすで移動するには踊り場の幅がほんの少し足りない、とか
ちょっとしたつまづきのために、できることが全くできなくなってしまう、
という状況は、知的障害の方にも共通した部分だと思います。

‟このような震災の場合、障害の程度が思いか軽いかではなく、周りでケアしている家族がいるのかいないのか、などの環境によって支援の要不要を判断しなければならない”
映画の中で語られていた言葉は
支援する側の想像力だけでは役に立たない施策が山ほどあることを指摘していると思います。

間違いのない”ことを‟平等に”行っていかなければならない、という前提のもとに
働いている援助では機能しないことがよくわかります。
手を差し伸べる、というスタンスを前提にした援助が、国の資金とうまく連動していく仕組み
をつくらなければもったいない・・・・。
こんな風に意識させてもらった私には何ができるのだろう。

自由に動けて、働く五感を授かったこの身に感謝するのは勿論、
自分の天命をまっとうしたいと改めて感じる今日でした。