~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

コミュニケーションの間にあるいろんなこと

そろそろ髪が伸びてきたmasaをサロンに送り出しました。

「・・・かっこ良く仕上げてやって下さい・・・」と書いたメモには、この頃スタイルがまとまりにくくなってきたこと、理想の髪型などの本音をイラストを入れて持たせました。。。
帰ってきた彼は期待通りの爽やかな青年になっていて、きらきら光って見えました。

上手くコミュニケーションが取れた時の嬉しさって、
一つ一つの関わりを意識して対応するほど大きくなるような気がします。

私の書いたメモを、どのように受け止められたか、正確にはわかりません。
でも、私が相手の気持ちを推し量りながら書いたのと同じように、誠意をもって読んでくださり書いた者の気持ちを少し推察してくださった部分もあったに違いない、という信頼の上に、思った通りに仕上げてもらってきた姿を見て嬉しくなるわけです。

喜びにつながるコミュニケーションの基本は、形態が(口頭、メール、表情、態度、手紙)何であれ、
受ける側の‟相手の状況や意向を理解しようとする姿勢”と
きっとくみとってくれるだろう、という話す側の‟信頼感”で生まれるのではないかと思います。

スクールの受付やカフェでの応対など、何気ないやり取りであっても、
私の場合、接客の立場にいる人たちには(サービス業でなくても)それなりの期待をもって接します。

※話がそれますが、「悪いサービスを受けた}という経験は結構よく覚えていても、「良いサービスを受けた」という経験をあまり沢山思い浮かべられない人は、自分が応対される側にいるときの期待値が低いから、(つまり自分がこうなったらいいなぁというイメージが相手に伝わる働きかけもしていない)ということがあるのかもしれません。

何らかの‟対応”が必要な場面では特にその姿勢の見せ所。
相手の意向を理解しようとする姿勢が、‟マニュアル上問題のない応対”よりも当たり前に前面に出ていることで、訪れた方も応じた自分も双方がうまく成立したコミュニケーションによる喜びを得られる機会を広げるのです♡。

こんな当たり前のことから離れたところにいるフロントさんを、この頃よく見かける気がします。

こんな話当たり前でしょ、と感じる方は、日常的に丁寧な人との関わりを通して
豊かなコミュニケーションを楽しんでいる方だと思います。
そうではなく、普段のコミュニケーションをスマホ上で殆ど済ませてしまう未来の大人と、
面接対策を控えて急にコミュニケーションという言葉を意識しだした未来の社会人には、
直のコミュニケーション経験値を上げてほしいと願うHanaです。

速報で流れた大きな地震も起きず、日常の話題を記すことができた今日の平和に感謝して。