第3の声?
人は、歳を重ねるとまた生まれた時に戻っていく、といいますが、
よく考えると視覚や聴覚もそうなのですね。
歳を重ねると、眼も再び良く見えない状態に向かって行くし、
言葉は知っていてもそれを言葉として聞き取る聴力が薄れていくけれど、
それは生まれた時と同じこと。
生まれた時は言葉を知らないから、耳から言葉は入ってこないし
眼も良く開いていないのではっきりとは見えない。
けれど、
相手の心が発している言語を身体全体で感じるアンテナの感度が
その分を補っていて、何とか必要なコミュニケーションが成り立ち愛情が行き交うように
出来ています。
今日は、その”若返り”の第一歩かしら?と思うような聴覚を得た一コマがありました。
masaは普段、欲しい物や食べたい物などについて
「これが欲しい、あれがいい」とか、「何々が食べたい」などと
自分から口に出してくることはありません。食事の時も同じです。
お茶もお菓子も、いつも必ず私とmasaと二人同じように準備し
私が食べるまで待っていて、私が手を付けた分だけ彼も手をつけます。
今日のおやつは立ち寄ったベーカリーでちょうど揚げたてだった
ドーナツでした。まだホカホカの、お砂糖をまぶしたシンプルなドーナツ。
山で冷えた体をお茶で温めよう、と
紅茶を入れるついでに、せっかくだからあったかいうちに食べようか、
とお皿に一つづつのせたドーナツの前に座ったmasaは
masa語(フ〜〜ン、フ〜〜ンというトーンの高い、ちょっと嬉しい時に出る音)
が漏れていました。
そんな、ホンワカした気分になれるシンプルなドーナツでした。
わたしは、お茶が入るのを待って、テーブルのお皿にドーナツをのせたまま
ソファに座って待っていました。
その時、背中で鳴っていた「フ〜〜ン、フ〜〜ン」のトーンの中に
呟きにもなっていない不思議な音が聞こえてきました。綿菓子のような軽やかなウキウキしたトーンです。
「たべたいなぁ・・・」
と聞こえました。空耳のような、かすかな空気の震えのような
音のような、でも発していない言葉だったと思います。
初めて聞き取った masaの‟100%ピュアな心の声”はあまりに正直で、
自然に出ている言葉でした。
これまで
自分の気持ちを言葉にできない
ということが彼の大きな特徴だと諦めていただけに、その自然な呟きらしい音に
深い愛しさを感じました。
初めて「ママ」と言った赤ちゃんに「もう一回いって?」というように
そう言いたくなるほど・・。
次の瞬間、masaは無意識のように、私を待たずしてドーナツにパクっと行っていました。
「たべたいな・・・、って、今言った?」
と私が聞くと、少し驚いたような顔で、聞こえましたか・・・とでもいう感じの
表情・・。
あの音は、きっと第三のセンサーが、第三の発振器から発せられた言葉を
聞き取ったのだと、信じてやみません。
以前、公園の入り口で聞こえないはずの私たちの会話に対して
「3才」と指を立てた時のことを思い出して、
私にもそのアンテナが立ったのだと思いました。
面白い体験。。。
masaがこんな風にこんな素朴な言葉で普段から自分の気持ちを呟いているんだと
初めて知って、とても嬉しい記念日となりました。
こうして、masaの自然な思いが聞ける日が日常になることを
心から願ってやみません。
これが私の夢でした。