想い合える家族の幸福は
朝早く、家電が鳴っていました。
それで目覚めて、でも間に合わず。
お蔭で少し早起きしたところへ、もう一度電話が鳴りました。
父からでした。
「朝早くにわるいね。ほかでもないんだけど、」
って、なにごとかと気持ちを引き締めて返事をすると
「今日、お母さんの誕生日だから」
「うん、そうだね。」
「メールでもなんでもいいから、送ってあげて。」
それだけの話でした。その声も最近のしわがれ声とは別人のような
青年の凛とした響きを含む素敵な声でした。
母の誕生日よりも、父がそういう電話をしてきたことの方が
私にとっての大ニュース。
お父さん、なにがあったの?大丈夫かしら?と少し心配になってしまいました(*^-^*)
家族が家族の事を想う、という最もシンプルに受け入れられる
美しい感情も、親子・兄弟・夫婦・という関係にかかわらず
全員が当たり前に継続して実践している家庭は、
本来当たり前なのかもしれないけれど
素晴らしいと思います。
それが当り前じゃない家族、生い立ちにトラウマを抱えたまま
それが自分の子育てに現れる両親がつくる家族もたくさんあるのだろう
と思うからです。
夫婦をもとにして、その家庭に生まれた子供は
父母の影響を回避することなく全身に浴びて吸収し、
そこですりこまれた感情経験がのちの自分の家族への関わり方や
自分の人生を決めていく・・・、と
そこまで大げさに考える余裕もなく、多くの夫婦は子育てが始まるのだと
思いますが、父親と母親のそれぞれが直接子供に伝える感情だけでなく、
自分の周囲にアウトプットしている感情や表情がすべて
幼い心に刻まれ、その後の人生によくもわるくも生きてくることを
自分が齢を追うごとに実感します。
我が家の場合はまだら模様ですが、
家族のことを想い合える幸せの近くに居る日は安心します。
お誕生日おめでとう。
安心の今日を、ありがとう。
夕飯クリップ☆彡
エビの殻むきはmasaがしてくれました。