こんなところで言葉のバランスを崩していた
一昨日修理に出したオーブンレンジ。
目安としてお預けする期間は2週間くらい、費用は1万5000円程度
と聞いていたものが、不思議なはからいが働いて
本日、我が家に戻ってきました。それも無料で。
そんなラッキーな始まりだったこともあり、
日常の中にまた一つ気づいたことがありました。
それは長年つづける公文プリントの訂正作業をしている時のこと。
ちょっとした言葉の説明が理解できないmasaのやり方に反応して
だんだん言い方が不親切になっていく私。
「はい。」(OKの意味)を最上級の褒め言葉として、それ以外は全て
ネガティブな言葉を積み重ねていることに気づきました。
運動部の練習のごとく。
間違い直しをしているのだから、「ちがう」は勿論連発ですし、
新しいプリントをする時と違い、直しはやり終えてやっと‟当たり前”
の義務的な数十枚で、
次は間違いを少なくしたい、というモチベーションが本人に働かない限り、
そこに面白さは見出せません。
新しい事を教える時以外、既にわかっているはずのことが
正確にできるようになるまでの何千問を繰り返す間、こちらから
口を開く限り、間違っているところを指摘することになります。
長きに渡って、その繰り返しのなかで、正確にできるようになった
計算力は確かに培われました。
でも、その間、単純に繰り返していた私の否定的な言葉
(それが、本人の人格を否定しているのではなくても)
の限りない積み重ねを振り返り、
生活の他のところで、良い言葉を発することをいかに心がけていても
全く意味がなかったことに気づいたのでした。
‟直す=正しい=当然”という態度で、
ものごとに向かう姿勢を教えているつもりでいたその時間をあらため
厳しさは違う形で維持するとしても、言葉で表すことは、私たちの他の生活全体に
影響していたのかもしれない・・・・。
まだまだ改善できることへの気づきに感謝です。
子育て中のお母様が私と同じ失敗をなさいませぬように・・・
夕飯クリップ☆彡
ニシンの煮びたし。春を呼ぶ魚が美味しくなってきました♪