目の前の事を天職だと思って
歩き始めた子どもがいるお家では、
‟フローリングの上をはだしで歩かせない方が良い”、とテレビから流れてきました。
全く平らな人口床の上ではぺたぺた歩きを覚えてしまい、
指でつかむ歩き方ができないので、高校3年くらいで関節痛や腰痛になりやすい
のだそうです。
逆に、3、4歳児ならだれでもできるという、足指をグーにして歩くことが
小学2年になってもできる人は、生涯関節痛になることはないとか。
道路や住宅内が整備されすぎて、足指をつかう機会が少なくなってしまった子どもの
為に、草鞋(ぞうり)を推奨している幼稚園を聞いたことがありますが、これは
重要なことなのですね。
masaはよちよち歩き時代は正しく、そのぺたぺた歩き養成状態でしたが
もともと歩行が不安定で心配だったために幼稚園は毎日山歩きをする山の中の
幼稚園で過ごしました。
今の所なんとか痛そうではないのは、そのおかげでしょうか。
同じ番組から、
子どもが危険な斜面を下りようとしているようなとき、
親がコワそうな、不安げな顔をしてみていると、社交性の低い子供がそだち、
危険そうなことでも笑って見ているような親の子どもは、友達の多い子になるそうです。
これは、私自身も、masaを見ても経験的に納得です。
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さて、今日は
‟目の前のことを 天職だと思ってやる”ということをしてみました。
‟今目の前にある事を、淡々とやる”ということは、日常的に心がけているつもりですが、これを‟天職”だとおもってやる、というところがミソです(*^-^*)。
自分が時間を割くべきだと考えているとりくみの前に、どうしても発生する
こまごまとしたことをしている時、その事については
どう考えてやっているでしょうか?
‟ここに時間をとられている場合じゃない、はやくしなくちゃ。”とか、
‟早く済ませてしまう”とか、考えながらしています。
そこのところを、例えばレシートを家計簿に転記したりする
いつでもよいような、でもしないと溜まっていくからしているような作業も
今日は、‟これも私の天職だ”と思ってすることにしました。
すると、こまごまとした雑用の時間も、順序の一つとして時間を惜しむこともなく
前向きにこなすことができると発見しました。
そして、そのような短い時間をすごしてから、本来の取り組みをする中でも
‟天職だ〜”と思って過ごしていると、出来栄えや作業的要領に関する期待を前提としない
淡々と受容する立ち位置になれるようだと感じました。
きっと、‟臨む”立場よりも、少しゆとりをもった心理になれるのでしょう。
たゆまず歩み続けるためのポイントの一つに、動機をきれいにしておく
ということがありますが、実際の生活の中でひるまず進んでいくには、
このように、目の前に現れることをすべて‟自分は最良の仕事をしている”と
思いこみながら受け止めていくことで、これが維持できるようです。
どうぞお試しあれ、です。
夕飯クリップ☆彡
トマトソースは、フレッシュトマト(大)とケチャップ少々、コンソメ少々、バルサミコ少々で。なめこおろしも久しぶりで、さっぱり♪