~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

自然の音を聴く

2、3日山と離れた生活をしているうちに、すっかり紅葉がすすみ
山肌はいい感じで色づき始めていました。

山道に入って行くといたるところに車がとめられています。
もしかすると、春の山菜採りの時よりも多い車を見たかもしれません。
そう。落葉きのこを採りに山へ入っている人たちの車でした。

こうして少し山に足を踏み入れただけで、身体の芯まで季節を感じられれることって、
幸せです。

自然、といえば・・・、‟自然の音”を聴くということは
日ごろ蓄積した心のひずみを溶かし、心身を癒してくれるのだといいます。

ヒトの耳は聞き取れる振動数が限られているようですが、実際は
聞こえない領域の音も身体は聴いていて、この、音にならない要素の中に
バランスを保つ上で大切な要素が含まれているらしいということです。

私たちの日常で身の回りにある音を思うと、
今や殆どが電気を通した音。音楽も生の歌や楽器で演奏する以外は
電気的な音を聞いています。

電気といっても、アナログの時代はまだノイズがカットされていなかったので
自然音に近かった、ともいえますが、音源がデジタル化されるようになって以降の音楽は
その、聞こえない領域のノイズがきれいに全てカットされてしまっているのだそうです。

最近レコードの人気が再上昇しているそうですが、
その理由はこの辺りにあるのではないでしょうか。
レコードの音は温かい感じがする、と言われるのは、その自然発生的なノイズを
耳が感じ身体が反応しているからなのですね。

何事も、失ってみて初めて分かるということは多々ありますが、
音についても同じことなのでしょう。
ノイズの多い自然発生的な音に取り囲まれている時には、それが必要なモノとは感じなくても
ノイズがクリアにカットされた音ばかりを聴き続けているうちに
生物的に 「何か足りない」と気づく人が出てきたのでしょう。

ですから、ヒーリングCDだと思って、水の音、とかかけてみても
それ、自然音のうわずみだけなのですね。。。

20年くらい前に、環境音のCDが全くリアルに感じないと思っていたら
SONYの人がやってきて(当時その手の機器を扱うところにいたので)
再生能力が格段に高いというオーディオのdemoをしてくださって、
河の流れのCDを流した時に、さすがに圧倒的な臨場感で、一目ぼれし、
自分が購入してしまったことがありました。

でも、これもCDになっている時点で、クリアに精製された
‟上白糖”状態の‟自然”音だったということですね・・・。

勿論、良くない言葉や、音を聴いているよりはずっといいと思いますが。

しかし、今やCDさえも配信音に取って代わられつつあり、
耳に入る音の電子化は更に加速しています。

人は音ですべてを判断できるようになっている、とまで言わるほど
聞こえる音でとても影響を受けるということを、
多くの病みを抱える人々の心にとめてもらいたい、と思いながら
木の葉に雨が当たる音を、聴いている自分を感じていた日曜日でした。

自分が発する声の色も含めて、耳に入れる音にもっと意識を傾けよう。

夕飯クリップ☆彡
            
             最近時々登場する鹿肉。 ジンギスカンの味つけで焼いたシカ肉を            キャベツとリンゴの千切りと絡めて、おろしダレで和えました。