~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

タイトルとのギャップ、読み”聞き”タイム

昨日、いつものスケジュールでは動けなかった分を
今日の午前中にあてて、ピアノ室での練習。
いつもは日曜日なので外を通りがかる人が少ないのですが
平日だと、バス停の雨宿りや隣りの音楽教室への出入りも多く、
漏れている音に立ち止まった人から中に送られてくる視線が、
ピアノに直角に向いて座っている、つまり窓側に向かって座っている
私の視界には時々入ってきていました。ピアノの音に興味がある人、結構いるものなのですね。
ラジオの公開放送のような、妙な気分・・・。

ただ旋律をなぞっているだけのようだった ノクターン OP27-2が
やっと美しい中にドラマティックに流れるようになってきたかな。

あまり怖い顔をすることなく
穏やかに平和に練習できる日で良かった・・・(^-^;。
     ☀     ☀     ☀     ☀    ☀    
午後の休憩時間にソファの隣りに座ったmasaが手にして音読を始めた本が
予想外に面白くて、思わず表紙を確かめてしまいました。
けして面白そうな表題ではないのですが
            
音楽家として活動しているBと名乗られる著者の自叙伝的なところから始めている
語り口がとても面白いのです。

まずは自己紹介からはじまりました。(以下抜粋)
”・・税金を納める時は一応、作曲家ということになっていますが、
あまり有名な曲はありません。・・・ピアノも弾きますが、ピアニストと名乗るほどではなく、伴奏や連弾でお茶を濁しています。人前でしゃべることもありますが、専門の司会者という訳でもなく、音楽学者のように豊富な知識も持ってはいず、むしろ少女漫画の方が詳しいくらいです。・・・大学の先生ですが非常勤と言って、いつ首を切られても文句を言えない立場です。この道そろそろ40年になるという地道な音楽家のはずですが、昔から使っている共演者からうさん臭く見られるようになってしまいました・・・”

誰が書いているのだろう・・?と思わせるクイズのような
始まり。(自分ではなく、読んでもらっていてこその面白みですね)

そして、
 『音楽家をめざす人へ』という表題のくせに
この本をお読みの皆さんは、音楽がお好きですか?実は私は、それほど好きではないのです。”
とくるのです。
音楽会に行ったとしても、途中で帰りたくなったりします。なんだかつまらない事を長々とやっている、それに付き合うよりも、勝手に見て回れる展覧会の方がずっとまし、などと思うのです。”・・・って、
なんだか、とても親近感が湧いてきます。


そして、音楽的な才能とは、ある程度ならだれでも潜在的に持っているものだとし、特別な才能などなくてもいいけれど、顔の美醜は死活問題なのだとか、
ご自身が30年以上も芸大で講師を続けていられるのは
朝7時過ぎには学校に行ってお茶を沸かし、他の先生方に出しているためだと思われる、とか。

大笑いしてしまったのは、‟運”の一つである環境としての
ご両親の音楽への関心の低さが現れたエピソード。
(お母様は)Bが小学校三年の夏に初めて作曲した楽譜を、眺めもしないで
あげていた天ぷらを乗せてしまい、父はその上から天つゆを注いでしまったのでした。
(あら〜・・^-^;・・・・・)
これをmasaがまるで自分のことのように、ときどき独創的な漢字の読み間違いをしながら淡々と読んでくれるので、面白さ倍増です♪

偏りのない人としてのナチュラルな在り方に共感する部分が次々に現れ、
著者 青島広志 氏のイメージがかわりそうです。

彼がオーケストラの指揮をする時は、
必ず練習や本番に全員分のお菓子や果物を持って行くのだとか。
どの道に進むにしても必要な、人としての心遣いがやはり大切なのだと
教えられます。

誰に誘われるでもなく、この本を手に取ったmasaの感覚の中にも
『音楽』という概念に多少なりとも興味が芽生えているのでしょうか。
少なからず音楽という芸術に関わることで人生を豊かにできていることを
感謝しようね。

夕飯クリップ☆彡
         
春菊と舞茸はさっと炒めて塩・さとうをまぶし、‟めんみ”を一振りして和えたものです。