~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

数のサブリミナル効果

ひさしぶりに路面電車に揺られていた時間、
『アイドルのウエストはなぜ58㎝なのか』という本を読んでいました。

もともと、日本語の助数詞〔数え方)を研究している方の著作です。

なぜ八百屋は八百であって900や千ではないのか、
まずはこの項目に目をひかれました。
‟嘘 八百”もなぜか八百ですし、にも、”お江戸八百八町”なんていうのもあります。

まずは八。八、という数字を含んだ成句を辿っても
『八方美人』は『百方美人』にはならないし、
『八つ当たり』も8か所に当たる、と決まっているわけではありません。
さらには、植物のヤツデの葉は7手または9手が多く8手にわかれているものは
四葉のクローバーなみに珍しいのだそうです。

このような所から見ても分かるように、古い日本語では‟八”は
実際の8という数量を表すのではなく、多数の概念を表す数だったということがわかります。

もう一つの、百・千・万についても、
単なる数学的な数の位を表すだけでなく、大数の概念を表す記号の働きを持っていて
どのように区別されるかといういうと

   _______________________________
「百」・・・目で見ることができる多数のもの。一つ一つを手に取ることも可能。
      集めたものを並べたり整理することが可能な範囲の数。数えようと思えば数えることができる多数。
「千」・・・多くのものが散り、漂っているイメージ。
      手に取ることは不可能。数えようとしても、四方に飛散してしまっている。
      とぎれることがあってもどこかでつながっている様を表す。
「万」・・・個々のものがぎっしり寄って詰まっているイメージ。
      目で見ることはできないほど多数であるがあらゆるところに存在し、満ちあふれているもの。
  _________________________________
となるそうで、
これを参考に‟嘘八百”を考えると意味が分かります。

千の風になって』というタイトルがが魅力的に感じるのも、
これが「百の風」「万の風」ではなかったからなのでしょう。
上の概念解説にも重なりますが、‟千”の「ち」という音は「散る」という語から来ている
という説もあり、花弁が風に舞い散る、その数は無数で数えられないけれど
存在は確かにわかる、というイメージを持ちます。
それに対して、もし‟万”の風だったら、‟万(よろず)"は「寄る筒」、
個々のものが寄り集まってぎっしり、のイメージで、
これでは‟駆け抜ける”はずの風は渋滞してしまいます。

この説明を見て、理解できる私たちは、
無意識のなかに、日本語的な数の概念(イメージ)を確かに受け継いでいるのだな、、と実感しました。
この例に限らず、上にまとめられた「百」「千」「万」の概念は
身の回りの言葉につかわれた大数が単純に多いだけではない、それ以上の意味を含んでいることを実感できるとおもいます。

千歳、千早、千草・・・。「千」という数をかなり見直した楽しいひと時でした。
(本の表題よりも、こちらの方が気に行った私です。)
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本日の編み物〔森と空をイメージしたシュシュデス〕