~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

10~20歳代の耳

外のアジサイは、まだまだ青くて固いつぼみなのですが、
そのうちの一枝を摘み取って室内に生けていたら、白いお花を咲かせてくれました。
             
開花には温度が必要であることをあらためて目にし、花を咲かせようとする
アジサイの気概を力強く感じました。

masaが修業先から戻り、帰途の車中で
「16時になったね!」と言いました。よく時計に反応してジャストの時間を教えてくれる
彼ですが、ダッシュボードのデジタル画面は15時58分。何を見たのかしら・・・・?
これは、前から気になっていて、彼が時報を教えてくれる時、いつも
車内でも家の中でも見える時計とは数分ずれているのです。テレビともずれています。

携帯が見えるところにある時は、本体がジャストの時刻でキラキラと光るので
それを見て言っているとも考えられるのですが、
その携帯も後部座席のリュックの中です。
今日は、この謎を明らかにしたい気分になり、ちょっとしつこく尋ねてみました。

「何を見て、16時ってわかったの?」
「どこかに時計があったのを見たの?」
「何かを見た?それとも何かが聞こえたの?」
しつこいですよね〜?     でも ☆ わかったのです!

彼の耳にはシャラシャラシャラ〜♪という音が聞こえるらしいのです。
それはどうやら時報代わりにキラキラ光っている携帯から聞こえてくるらしいです。
そうなんだ・・・

中高生くらいの世代にしか聞こえない波長の音がある、という話を一昔前に聞いた記憶が
蘇りました。たしか、携帯電話がこの違いを利用しているという話のなかでだったと思います。
あの話は、本当だったんだ、と
こんなに時間が経ってから、現実を目の当たりにして、とても不思議でした。
だって、本当に全然聞こえないのです。私には。

もしかして、後部座席のリュックの中ではなく、せめて目の前にあったら聞こえるのかも
という、かすかな希望も
次の時報でもろく崩れ去りました。
私の目の前でキラキラ光っていた電話は無音だったからです。
その後ろでお皿をあらってくれていたmasaは見えないのに、また
「17時になった。」と・・・(*'▽')。

私にも、masaの年の頃、大人が聞こえていなかった特別な音が聞こえていたのでしょうか。
携帯の音はなかったけれど、自然界の音の中で、聞き分けられる音も違っていたのかもしれない、
と思うと、時を遡って確かめたい気持ちにかられました。

 
大きなお花を編み続けていたので、急に可憐な小花が恋しくなって・・・

相棒のように感じているmasaが、明らかに私とは身体的機能が高い若き青年であることに少し敬意を払って、ごはん。
           
チキンは、甘めのバターしょうゆに柚子ジュースをつかって、キャベツと一緒にかんきつ系のさっぱり味に仕上げました。

今日も無事に帰ってきてくれた我が子に感謝して。