~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

空の写真のささやき

編み進めていたストールの糸があと少し、足りなくなってしまい
しぶしぶ街中へ出向いた午後、
春の雪が舞ってきました。
雪に当たるのも、今年最後かな。

帰り道には、
空の写真展をしていたカフェに立ち寄りました。
            
masaともども、ピアノでお世話になったご挨拶と
今後へのエールを送りに来ました。
masaの初ソロライブで音響を含め様々な協力をしてくださったマスターご夫婦が
関西へ移られることになり、今日がその最終営業日でした。
時間をはずして伺ったつもりでしたが、入ってみると満席で、
様々な方に慕われていたお店であったことが伺えました。
全く違う畑に飛び込まれることになったマスターですが
またどこかでお目にかかれることを願って、お別れしました。

完成間近ながら、補充したかった糸が本州取り寄せとなってしまい
中断を余儀なくされた暖かめの固まりを横目に、
レース糸をいろいろ出してお花を作ってみたり、完成作品の写真を眺めてみたりの夜。
(膝がこわくて動きたくないので、必然的にソファの上が‟基地化”している・・)

手を動かしていると、脳があれこれ思考を巡らせます。

お昼に様々な土地を見下ろす空の写真を観てきたせいか
ふと、この地球上に同時に存在しているもののあまりの多様性を
とても不思議に感じる瞬間がありました。
同じ時刻を生きていることになっている私たち人間も
各々があまりにも景色の異なる日常の中を動いているというのは幻想にすぎず
実はミルフィーユのような何層もの異次元の世界に分かれ、それぞれの時間で
生活しているのかもしれないと・・。
そして、時々結び目のような交差点で、関わりをもち、あたかも同じ現実世界に
存在しているように錯覚しているのではないかと。

そう思わずにいられないくらい、人それぞれが当たり前と思っている感覚や
感心をもつもの、感じること、心囚われているものが違う世界を生きていることを
感じます。
そういう人間を取り巻くものは、人工的なもの、自然なもの、美しいモノ、形のないモノ、
美味しいモノ。ここにもまた、様々な次元があって、ごちゃごちゃしている空間もあれば
何もない空間もあれば、光の場所も、水の場所もあります。
当たり前の事を書いてしまっていますが、これらすべてが同一の世界に同時に存在している
ということにちょっと疑いを感じていたのでした。

そう考えると
他の物事を掌握しておくことを心配しなくても、先の予定を見越さなくても
今、目の前に現れているものに安心して心ゆくまで向かっていて大丈夫だし
それが、道に迷わない方法だとも思えてきます。

身体を無意識に健康体に保っていることが当たり前でない状態を
暫く味わってい今だからこそ、こんな視点を持つのかもしれません。