~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

人が意識的につくらなかったものと向き合う

             
朝から強風に湿った雪が飛び交う、曇天の日曜日。
雪・・と言っても、山の中だから、辛うじて雪でしたが、
気温が高くて当たると濡れてしまうような、馬に乗るには悪天候でした。
それでも、masaの時だけ乗れる状況だったということで、
いつものラッキーな恩恵は辛うじて享受していました。

昨晩まで読んでいた養老氏の本の中で、
「自分の意識では処理しきれないものが、この世には山ほどある」のだから
今の自分の考え、意識は絶対的なものではないという視点を常に持っておくことだと
いうお話がありました。
過多な情報からいつの間にかできている前提という観点や
脳は楽をしたがるという仕組みの観点など、様々な例を出して
自分の持っている意識というものがたいして信用できないという説明がなされているのですが、
その危うさから逃れるためには、人間が意識的につくらなかったものと向き合うのがいい、
というので、
結局は‟自然に接するようにする”ということがつよく薦められています。
「自然のものを一日に10分でいいから観るようにしなさい。」
そんなアドバイスを読んだ翌朝に山に居ると、すごく寒かったけれど、
何だか、とてもいいことをしている気分になれます。

‟下界”へ下りてくると雨模様でした。
神宮様へのごあいさつも今日は足早においとまし、あとの時間は家にこもり
共に時間を過ごせる相棒がいることを温かく感じながら
時を過ごす日曜日でした。

そうそう、前述の本の中に思わずニンマリとしてしまった提案がありました。
テレビのニュースで、「今日はニュースがありませんでした」、という放送をやってみればいい、
それが無理ならせめて、全てのニュースを伝えた後に、
「・・・とはいえ全部済んでしまったことです」と締めくくる・・・。
世の中には、本来いいこと、無事だったことの方が毎日圧倒的に多く起きているのだから、
これを集めてもニュース番組が成り立たない、だから上のようにすればよいという意味です。

あふれる情報に左右されないための意識の保ち方のひとつとして、ということですが、
こんな風にしめくくるニュース番組が現れたら、ちょっとホッとするかもしれません。