語り継ぐ役割
明日で20年となる阪神大震災に関わる番組が
1日を通してかわるがわる放送されていました。
20歳以下の人たちの記憶にない震災を伝えていく、
ということが、家族のなかでもなかなかされていない、ということを
取り上げられているのを観ていて、
20年前の震災で、このようなことだったら、
70年前の戦争のことは、さらに風化の危機に瀕しているのではないか、と
思わされます。
私の育った家庭では、比較的ことあるごとに戦争のことを聞いたので、
情景や雰囲気を自分なりに想像することはできますし、だからこそ
戦争に参加するということがどれだけ不幸なことか、恐れています。
でも、子どもたちに「またか・・」と思われたくない、などと
気を使ってそういう話をする機会を逸している親たちが増えている風潮があるとしたら、
同じ過ちを繰り返す可能性を消去していかなければならない、という意識は
後継世代のなかに育たないでしょう。
確かに、子供の頃は「またか・・」と思ったこともありました。
それでも、いい大人になってみたあとで、それだけ反復して聴かされていたからこそ
イメージできるような記憶として定着しているのだと話してくれていた親に
感謝しています。
震災は人災ではないので意図して避けることができない、という点では残酷です。
しかし、人災の戦争は、もっと悲惨です。
震災のことも、戦争の事も、その場にいなかった次の世代・家族へ
繰り返して伝えていくことが、それを知る人の役割だと思います。
人が人でいられる理由は
言葉をもち、過去の経験を分かち合い、適応することができるからだったと思います。
若い人たちは、あふれるほど情報と繋がっていますが、
親が口伝えで伝えていく歴史のリアルは
自分が深く関係する可能性のある出来事として認識することができる希少な機会です。
そんなことを、感じていた今日1日でした。