アートの本質 〜 『サティッシュ先生の授業』
今 夜のおともになっているシューマッハー・カレッジの
サティッシュ先生のお話の本で、感じいる一節がありました。
彼(サティッシュ氏)のお母様は縫い物や刺繍をする人で、仕事の合間をぬっては
長い時間をかけてショールをつくったりしていたそうです。
とても完成度が高いものの、一つのものを作るのに、半年や1年以上かかるので
ミシンを使ってはどうか、と提案したお姉さんに
「時間を節約して、余った時間で何をするのが喜びなの?・・・・
・・・時間という、いくら使ってもなくならないものがあるのに、
それではまだ足りないと言って、使えばなくなってしまうもの(資源)を
わざと使いたがっていいるようにしか、思えないの。」と話したお母様は、
(自然破壊や搾取といった経済システムの危険な側面にも気づいていたよう)
インドの田舎に生まれ育ち、読み書きもできなかったけれど
‟身の回りで使うものは頑丈で長持ちするだけではなく、美しくなければならない”
というポリシーのもとに、家で使うものは、家具でも道具でも、靴でも
みんなしっかりとした手作りで、使い込まれて、美しかったという家をきりもりし、
人生にとって多くの大切なものを授けてくれた「最も偉大な教師」なのだといいます。
ショール1枚の完成に費やす時間を豊かに感じ受け
その時間を宝物だと思って働いていたそのお母様の姿を受けて
作るものが作品であるかないかに関わらず、
時間がかかることをいとわず、仕事のプロセスそのものに充足感を見出すこと、
そこに「アート」の本質があるのだということを
サティッシュ氏は学んだ、と結んでいました。
そして、‟本来、人生そのものがアートなのだ”と。
時間を‟いくら使ってもなくならないもの”と言える健全な感覚は
正しく、‟現在”を見て生きている人の言葉だな〜と感じます。
その生き方自体が素敵です。
自分も含めて、時間に支配されがちな者は、過去や未来を意識しているエゴがまだ
心の中に存在することがその根本にある、と理解しているつもりなのですが
このお母様はそれがないから
「機械にせかされるようになったらおしまい。機械があれば仕事が減るなんて言うのはうそだと思う」と、できるようになったことが多くなった分だけ不要な用がふえていく
今の社会を見透かしています。
そして、”プロセスに充足感を見出し、かかる時間をいとわない”、というところは
私が日ごろ、masaとの関わり、ピアノ・公文 etcにおいて足元を見直す時に
思い直す、ポイントと重なり、これを「アート」と称されたことに
なるほど・・・と思いました。
完成度だけに着目して、プロセスが貧相になったものは実質的に貧相でもありますね。
(音楽も、その「アート」の中にある「アート」ね・・(*^-^*)プロセスが重要)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
実はきょう、ちょっと凹み気味で公文から帰ってきたところでした。
その原因をここに確認したしだいです。
‟プロセス”に反省点てんこもりです。
結果、いつも満タンのエネルギーで激励してくださる先生に申し訳ないくらい、
先生のエネルギーをそいでしまっていることを痛感して、自省しているところに
昨日のこの話を思い出した、という訳です。
こうして、身近なところに答えが用意され、早めに元気を回復するよう助けられて
いることに感謝する今宵です。
英国シューマッハー校 サティシュ先生の最高の人生をつくる授業
- 作者: 辻信一
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