~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

リスの贈り物〜どんぐりのパン

お昼に立ち寄ったパンのお店で、見つけました。

               リスの贈り物みたい♪。
               どんぐりの粉を使っているのですって。
以前、〝どんぐりの食べ方”という本にときめいて読んでみたのですが、
やはり、丸のままではなく、粉にひいて使う方法がほとんどで、
そこまでの過程の手間に、食べるのを断念したことがありました。

だから今日このどんぐりが、初めてのどんぐり味でした。
もちもち生地の塩味になっていて、でも甘くてとってもおいしかったです。

味覚は、人の五感のかけがえのない一つ・・・・。

実は、今朝は、この味覚を奪われてしまった祖母のことを電話で聞いたところです。
それを私に話している母の、自責の念のようなものを受け止めながら、
ことの経緯を聞いていました。
数か月前まで、医者いらずオムツいらずの自己免疫の塊のような丈夫な身体を持っていた
おばあちゃんは、今どう感じているのだろう。

夜中のトイレに行く途中、つまづいて足の小さな骨を骨折したことがきっかけで
病院に入ったけれど、すぐに元気になって、自宅玄関の15段の階段を登れるように
なるまで入っていた施設で歯磨きの途中車いすのブレーキをかけずに目を離されて
車いすが動き、座ろうとしたおばあちゃんがしりもちをつき、また小さな骨折。
その間に誤嚥性肺炎をおこしたということで、
反論の余地なくおなかに穴を開けられてしまったと・・。

“いろう”(誤嚥を防止するために胃に直接食べ物を入れてしまう穴)を
つけられてしまったおばあちゃんの心中を、ずっと考えていました。

年齢ゆえの達観した部分も持ち合わせていると思うけれど、
少しずつ年をとっていく自分の体にすごくよく順応して、ここまで
健康で来たのだと思うのです。

その順応性はもしかしたら、人工的な処置として傷つけられてしまった
身体の状態に対しても、「今だけのことで、よくなったら取れるに違いない」
、と全身の細胞が信じて協力しているのかもしれないな、と。
私はそういう祖母のすごいところを感じてきたので、
今回のショックな連絡にも、このようにプラス思考になろうと思います。

でも、暑くても水も飲めないとか。
味覚を使えないということは、
感覚を一つ縛り上げられてしまったこの上ない寂しさが生じるものだと思います。

祖母の話を聞いて私ができることは何もありませんが、
無事に保証されている味覚に感謝し
五感を授かっている恩恵をフルに活用できるような生活を心がけようと思います。