~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

受け止め方人それぞれ

朝は窓を開けているので、外の敷地内で交わす会話が良く聞こえてきます。

管理人のおじさんと我が家の上階の住人夫婦が
明日で勤務最後というおじさんの挨拶を受けていたようです。

今日のご夫婦はいたって明るく、思い出話中心の会話でした。
「(こどもが)あそこの塀のぼるな!とか、よくおこられましたよね〜」などなど。
そして、「おじさん、急に暇になっちゃって大丈夫?」と、
不安や寂しさをみじんも感じさせない、明るい言葉の端々からは、その奥様の
自立した平穏を獲得している日常生活の健やかさが垣間見られました。

この前、おじさんと話していた奥様は、「おじさんがいなくなっちゃって大丈夫かしら。ちょっと心配(*^-^*)・・」とちょっと違う言葉が出てきていて、
日常生活の中にちょっと慎重になりたい部分もあるという感じの平均的な幸福感を垣間見た
きがしました。(それでも、私よりはかなり軽い感じの言い方で、
聴いていたわたしなどは、「え?その程度なの?」と思ったくらいです。)

私自身は、ここに平和な秩序を保って安心して住んでいられるのは
あらゆるところに目を光らせてくれていたおじさんあってこそだったと
感じているので、新しい方への信頼とコミュニケーションが確立されるまで
本当に心細いのですから。

人の受取りかた、実に様々なものだとあらためて感じる数週間でした。

管理人さんがこの大所帯を本当に良く管理してくれていたことは、どなたも承知だと思うのですが、
退職間際の挨拶の会話をいくつか耳に挟む限りでは
このおじさんと同じようにできる人はなかなかいないぞ・・と思っている人はあまりいないようなのですね。
生まれてきた子供が、初めから与えられた環境を当たり前のことと思って育つのと
同じように、初めからいた管理人さんができたことは、次の方も同じようにしてくれるでしょう、と当たり前に考えているのか、
はたまた、‟同じように”でなくても特に大きな支障はないだろう、と考えられるのかどうか、
そういう部分に日常生活でその人自身が得ている安心感が
どの程度明瞭なものなのかが投影されるものなのかな、と感じています。


さて、小学生だった子どもたちが大学を卒業するくらいまでお世話になった
世代の家族が沢山住んでいるこのマンションで、
おじさんの退職を目前にして、感謝を何かの形に表そうという声が
挙がるのではないか、との期待は、なかなか形にならぬまま明日の
最終日を迎えようとしています。
多くの人が心の中にきっと持っている感謝の気持ちを
代表するつもりで、夕方お花屋さんに出向きました。

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さて、その道が、幹線道路とはいえ、混みすぎていました。
‟渋滞”と呼ぶにふさわしい車列がいつもとは違う何かが起きていることを示していました。

ああ。やっぱり。
事故です。それもかなり激しく衝突したらしい痕跡と
路地に片付けられた当該車両が2台とも大破状態なのを確認できるところまで
進んでくるために、お目当てのフラワーショップは閉店に。

でも、この事故に巻き込まれなかったことが何よりの最大の幸福だったと
心から感謝する帰途でした。
反対車線から、渋滞中の車列を眺めつつ、「この車列で後れをとっている
運転手さんの心の中に、どうか、イライラではなく感謝が生まれていますように・・。
起きてしまったことだけで十分不幸な事故が
それを待つ周りの車たちにはせめて、感謝の渦を巻き起こし
この場の‟気”をなだめてくれますように・・・。」
と願っていました。

同じ事象に遭遇しても、受け取りかたは人それぞれ、なんだろうな・・・
並ぶ車列の運転手さんの気持ちが感謝一色に統一されるような
平和が実現することを祈ります。

明日、マンションのみんなが、私と同じことを考えていたら、おじさん、持って帰れないわね〜
なんて、ほくそ笑む今宵です。