‟話す”という だいじ
今日はね、いつもより2時間も帰宅が遅かったのです。
それは、ガールズ・トークがちょっと長くなってしまって・・・(^-^;
家の者居ようなら、「今頃まで何してたの」と言われるところですね。
そういう気兼ねもせずに帰宅できる自由を許してくれるmasaに感謝しながら
急いでスープ。
塩こうじに仕込んでおいた手羽元があったので、
キャベツと人参、桜玉ねぎと共に短時間煮込むだけで
こっくりとした美味しいスープになりました。
急いで食べちゃったので画像がありません(;´∀`)。
でも、冷蔵庫にあるお肉を塩こうじに仕込んで保存しておくと
急ぐとき本当に便利なので、お勧めしたいです。
夕食もクリアして、ほっと一息。
で、ふと思ったのです。
今日の様な長話って・・今時の若者たちはできない子が増えているのだはないだろうか。
みんな、スマホ通してお話しするのが習慣になっていて
断片的なやり取りをつなげて、
そこで、二人でいなくてもどこでも話せるから、って思って
気付くと、顔を見て話すことでしか伝わらない空気や時間が
日常生活から忘れ去られている・・・。
何で忙しくなっているのかよくわからない忙しさにかまけて
人に微細なミネラルが必要なように
顔を見て話す時間のなかで得られる大切なものを忘れているひとが、
多くいるのではないかしら。
情報だけ得られれば、コミュニケーションが取れれば、大丈夫、
という世界だけで生きていく人たちがいるとすれば、、
いつまでも話していられるような、‟エネルギー”と‟話題”と‟相手”を得られている自分は
つくづく幸せ者だな〜と感謝する今宵です。