~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

気づかいとは5秒先の未来を想像すること

masaが生まれる前にいた職場から出ている本を
「何か新しい事書いてあるかな〜」と物見遊山的に読んでみました。

その本は‟気遣い”がタイトルになっているのですが、
ふとしたチャプターに目が留まりました。

以下に要旨を抜粋してみます。

あいまいな態度は相手に迷惑をかける
『・・・なるべく具体的に見通しを伝えるという気遣いもある・・・
例えば、どうしても納期に間に合わせられないという場合、あるいは
どうしてもデートの約束に遅れそうという場合、「何日の何時までにはお届けしますので」
とか、「何分後には行くからね」などと遅れる時こそ相手に具体的にイメージしてもらうことが重要。
あいまいに「あとちょっとで着く」とか「少しだけ遅らせてもらえませんか?」と言っても
相手はどうしたらいいのかわかりません
そして、予定を伝える時は具体的に。
これも大切な気遣いで、注意点としては‟過少申告すべきではない”ということ。』

とても当たり前なことです。
何も新しい事ではありません。

でも、これが当たり前の環境のなかで生活し、そういうことに‟気遣い”という
言葉をあてはめることさえ気づかぬくらい自然にやりとりしていた人間(自分)は
『そうではない』(これが当たり前にできない)人に関わると翻弄されてしまうのだ
ということに気付いたのです。

まさしくこの数年は「あとちょっと」「少しだけ」を何十回も受け取り、そして
そう言っている人は最後は連絡さえ途絶えるということを経験しました。
曖昧な返答は先方の動きを拘束し、その時間、期間が長い程相手の迷惑が
重くなるということをしっかりと教育された人ばかりではないということを、
この本に改めて‟気づかい”と称されて活字にされた、私にとってごく当たり前の前提を見て
逆に理解したのでした。

‟相手のことを想像する”というという気遣いの基本を無意識のうちに
前提として言葉を受け止めているからこそ、曖昧な態度を後で
フォローする行動がないことを知った時に深く傷ついてしまうのかもしれない、
もし、自分の中にそのような人に対する信頼感が育っていなければ
同じように無責任な態度をとられても、それほどひっかからないのかもしれないな・・
とも思いました。

手に取った本の最後に行きつくころには
いかに自分が社会人として生きていたメンタルな環境が恵まれたものだったのか
ということを確認し、現在の環境下で自分が大きな違和感と精神的な苦痛を感じている
理由がここにあることを見つけました。

そんな私を勇気づけるかのごとく、
最後のページにかかれていたこと。

『経験の多さが気遣いの幅を広げる』
  自分自身が様々な役割を担い、色々な立場の人と接して経験を積み重ねることで 気遣いの幅を広げることができるのです。。。


ならば、
私の行く末はスーパーな気づかいのプロになれるかも・・・(^_^;)


夕飯クリップ☆彡