できなくなった体験の後に
頭に血が上った時は、‟ジャンプを10回”・・・。
な〜んだ、もう早速この術を使う時が来ました。
はい。先週突如渡され、
2日の練習でかなり怪しさが残ったまま
masaとの連弾に課された曲をを先生の所で弾いて(いえ、弾けず)
きました。このできなさ加減があんまりだった
・・・ということは、自分の頭の中のイメージと身体の不一致が思っていた以上に
大きくなっていたことを思い知ったというところです。
何年に一回かはmasaとの連弾を聴いていただいているので、
先生が絡んだ心理的な要因はないと思います。
それでも、帰ってきてからの私といったら、
まるで小さな子が「できな〜い」と悔しがって爆発している
そのままの状況になっていて、こんな風に自分のことで、
すごく素になっているのがとてもとても久しぶり、風穴があいたような
体験をしました。
編み花の体験にいらっしゃる方で、「昔は良く編んだのよ」と
おっしゃりつつも、一度脳梗塞を患ったあと自由にならない指先を
もどかしそうに動かしていらっしゃる高齢の方々の感覚を
体験できたような気がします。
自分の頭が理解した感覚は身体が実現できるというのが当たり前だった数年前までと
頭が覚えている感覚と、身体に指令を送る感覚がずれているという今の状態の
違和感を新たな自分の課題(壁)として
自分だけで向かって行けるきっかけが、そうした ‟昔できたもの”
だったりするのかもしれませんね。
環境や人のためにするのではなく、自分だけと頑張れば良いという意味では
自分のピュアな状態に導いてくれる作業(方法)なのかもしれません。
今日の失敗から生まれたちょっとした副産物に感謝です。