~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

花の精気

この時刻になって、平地でもみぞれ交じりの雨になってきましたが、
山は予報通り朝からの積雪(オマケに吹雪)となり、masaのお楽しみはキャンセルとなりました。

お蔭で私は寒空にむかって気合いを入れ直す必要から免除され
ベッドへUターン。
横になるだけでかなり楽になる・・・、と少し眠ったかな?
と思ったら
「9時になったね。」と朝食なしで待ってくれていたmasa時報。「うんわかった。」と言って、そのまま目をつぶると
「10時になったね。」
とまた時報

えっ?そうなの?
それはお腹すいたでしょう、ということで朝食準備。
そして電池切れ。

しかし、この後には次の‟外出チェックポイント”がありました。
外は、嵐ふうの暴風雨で、かなり迷った末に、ピアノ室もお休みを決定し、
自宅練習することにしました。
さっき充電した分、少しいつもの時間を過ごすことができ、
お茶の準備をしたところで、また電池切れ・・。
「もう1回ベッドに行ってくるね。時間が来たらおしえてね。」と言い残し
再び横になりチャージ・・・・。

まるで、古くなった充電池のようです。

徐々に回復しているのか、横になりながら、色々と頭に浮かび始めました。

そして、ポンと浮かんだこと、
「お花が、ほしい・・・」

入院や病気のお見舞いに、『お花』、というのは定番ですが、
‟安らぎ”を象徴するもの、として食事制限の心配もなく持って行けるから
という理由が当てはまるものだと、漠然と思っていた若かりし頃、
お花の代わりにお金だけ持って行く、という文化を持つ人々に意見をするほどの
確固たる理由は実感していませんでした。

それを今日、お天気で薄暗くなっていた寝室で、
ただ横になることだけに癒しを得る身体の声を聞く中
‟お花の生気で気が安らぐ”と言われるその言葉の伝える‟クオリア”を
実感しました。

考えてみれば、この2週間ほど、
玄関にも仏様にもテーブルにもどこもお花が切れていました。
その前の2週間も、
仏様に供えた小さな白菊だけで、がんばって家中の生気を保ってくれていたのか
もしれない、と気づきました。

それで、今、チャージした体力が持つ間に(ウルトラマンか・・)帰還すると決めて、買ってきました。
お花。

これで何とかなるのではないか、と思えている今宵です。

今夜は十三夜。十五夜の次にきれいな月と言われているそうです。
晴れた空を観られる地域の方は、月さまからもエネルギーをチャージできそうですね。