和惣菜は‟耳に美味しい”のだ
本日masaが読んでくれた本は
料理家の高山なおみさんのエッセイシリーズ『日々ごはん』の
第9巻だったのですが、
ちょっと遅めの支度となる今日の夕飯にすぐ影響が出る辺りが
わたくしの単純なところです。
本の中で並べられる日々の献立の中で、‟ダイコンと油揚げの煮物”を皮切りに、
油揚げが頻繁に登場するのです。
ニラと油揚げ、とか、小松菜と油揚げなどなど。
そして、1、2ページに一回は出てくる夕飯の品書きを
淡々と読んでくれるmasaの声を通して聴いていると、
和食のお惣菜というのは耳に美味しい、ということを発見しました。
きれいでおしゃれな盛り付けの画像をメニュー名よりも先に目に入れることができる
時代になって、料理本でもお店のメニューでも、写真がきれいなモノ
華やかに写りやすいメニューが美味しいモノ、という先入観が育ちつつあるように感じます。
その極端な形がキャラ弁なのでしょうか?
そこに行くと、昔ながらの和食のお惣菜
は、基本的にいろが地味で、華やかさに負けてしまうという理由が食卓に上がりにくくなっている原因のような気もします。
実際、例えば料理本で‟大根と油揚げの煮物”が写真付きで載っていたとしても、
「わっ☆彡、今日これ作りたい♪」という衝動には駆られない気がします。
こんにゃくも、油揚げも、ヒジキも、見た目にはあまり美味しくない。
ところがです。
文字を読む(左脳を動かす)ではなく、
読んでもらった音を通して和食惣菜が主菜と共に耳に入ってくると
味と香りが混ざり合ってイメージされてくるのですね。
例えばこんな感じです。
鯵の干物(お土産)、わさび菜の甘酢和え、水菜のお浸し(柚子胡椒・白ごま)
豚と葱の塩炒め、蒟蒻の炒り煮、うどの味噌汁(○子さんの味噌)、玄米。
音になったぶんだけ、文字で読むよりスピーがを落ちた間に、
それぞれの味をイメージしながら頭の中の食卓に並べていくことができるので、
ただのトマトでさえ、‟冷やしトマト”と書いてあると、俄然一品として
成り立ってしまったりして。
メインにはなれないけれど簡単で確かにおいしいお惣菜が
和食には無限にあったという記憶を蘇らせてもらえて、
このエクササイズ、和食の魅力を思い出すのにうってつけでした。
そこで、夜9時30過ぎにmasaを迎えに行く前に
ダイコンと油揚げの煮物を仕込んで出かけたのですが、今日はmasaと一緒にお土産を沢山いただきました。
別々の先生が自宅菜園で手塩にかけて育てられたトマトとササゲ豆です。
トマトはすでに‟冷やしトマト”化されていたので、2種類のトマトを塩だけで
和えて早速食卓へ運び、ササゲも折角なのでと即スープに投入。とっても柔らかい
やさしいサヤでした。自家菜園のお野菜は、やっぱり宝です。
命のエネルギーを今日もいただき、感謝の夜です。