~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

危うい存在と感じるか、かけがえのない存在と感じるか、何も感じないか・・どれが幸せなのだろう

今朝は、大きく揺れ始めたキッチンで、

‟いざという時にすること”のメモがあったはずなのに、

それが見当たらない。。という夢を見ていました。

 

それで、朝の作業は、

パソコンの設定に必要なアドレス類や携帯のIDなど、いざという時のために

まとめてメモしておくものを整理することから始めました。

 

住所録やメルアドなどのリストも紙にしておくことも思いましたが、

今日はそこまではできず。

 

その後は明後日のお教室用の編み図資料の作成や、

試作いろいろ、・・机に向かってじっと集中している時間が7時間くらいありました。

 

なぜなら、”不安” という気が 朝の頭の中にはいっぱいだったからです。

‟不安”という状態は、おそらく

頭の中にあることが過剰に増えて、ぎっしりになってしまい、

頭の交通整理がつかず、結果何にも手を付けられず、実際に動けなくなっている、

そんな時に発生するのだと思います。

 

それを理解し、とにかく何でもいいから目の前の岩を砕くように

作業をトントンとこなし不安感から離れようとしました。

 

黙々と、気になっていた編み花をいくつか検証したり、

その辺りでやり残していたことを消化している母の様子に対応し、

一人で黙々と、ピアノにむかったり、自分の事をして1日過ごしていたmasa

何となく調子が良さそうで、いつもより早くからkumonに行くと言い出しました。

 

彼を教室に送り、信号待ちをしている対抗車のヘッドライトを

ぼんやりと視界に入れながら、

自分がこの世に居る事が、本当はとても危ういことなのかもしれない

次の一瞬でふっと消えてしまっても、私が消えたことは誰も気づかない。

いつでも人一人の存在はそんな風に危ういものなのかもしれない、と

妙にリアルに感じていました。

 

全てはまぼろし。

幻だったんだよ、と別の世界へ帰った時に気づかされるのかな。

この世からいなくなってしまった大切な人たちが、この世に今はいない、ということが事実で、私はこの世にいる、ということは事実なのだろうか。。。と、泡のようにいつ消えてしまってもあり得ることだと思うような、危うい感覚に入っていました。

 

今、ここにあることだけで、奇跡なのだな・・

 

そんなことをぼ~っと考えていました。

 

”独り”を強烈に感じていた夜の時間。

今日は、そんな風に空虚に感じる自分のことと、同時に

‟子”の枠から外れて、一人の男性として、本当はもっと立派になることを

前提にして尊重したら良いのかもしれないmasaのことに

ふと気付いた夜でした。

 

不思議な、そして大きな孤独の時間。

テレビをつければオリンピックがにぎやかさを呈して

くれることに感謝です。