~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

新月です🌑

今日は、牡羊座新月ですね。。

春分の日を超えて、占星術的な見かたからは重要なパワーをもって

いるのだとか、、。望みを月に託すような習慣も、

毎朝シーツを取り替えるのと同じように定着してきたこの頃、

今回の新月の特徴をまとめてメモしてみました。

 

→この新月のテーマは「やり残しを片付ける」

 そして、特徴は「スピード」と「即効性」 

逆行していた水星も順行となり、これまでコミュニケーションに障害を生じやすかった状況を含め、一気に流れはじめるようです。

天王星が抜群に強い位置にいるあいだに、

‟状況を逆転させ、これまで光の当たらなかったものに光を当てる”とか

‟今の状況を早いうちに巻き返す”などの逆転ワザを期待して

お願いすると良いようです。

 

今日のmasaの演奏タイムは、音色が安定し、きれいに響いていました。2ステージ目が終わった直後に、公文のスタッフさんが

偶然いらして、せっかくなので、もう1ステージ、弾かせていただきましたが、どの回にも

聞いていたお客様から「癒された」とか「幸せだった」という

こちらが癒されるようなお言葉がけをいただき、

お客様の耳は本当に正直だと、思いました。

 

いつもこんな安定した音が奏でられるよう、

二人で精進していきたいと思います。

雨が続いていました

静かに降る雨が、まるでお掃除をしているかのように

「これでも?」「これでも?」と降り続いていたような気がします。

 

日曜日。

 

久しぶりに、日曜日のスーパーへ行ってみました。

思った通り、家族連れやご夫婦の、姿と会話を耳にする

憧れの空間でもありました。

 

‟車にタイヤを積み込み、洗車をしておく”(明日のタイヤ交換のために)

という今日の主たる‟to do”は、

雨が止まないのでタイヤを積むだけで終わりになりました。

 

明日と4日後のmasaの演奏タイムの準備をして、・・・

メールでは母校クラスの「一時帰国した〇〇君を囲む会」通知や

それに返信する皆々の元気そうなやり取りを、眺めて・・・

 

この‟後”のために、、全く準備が無い。

そんな現実の中、何を現実として見て行かなくちゃならないのか

・・・あったらきっと教えてもらえる。

 

だから、”目の前”をやろう。

それだけの今。

 

そういう人生を、きっと親は望んでいなかったはず。

みじんの予測もしていなかったでしょう。。。ごめんね。

 

現時点を切りとれば、親不孝にもなるかもしれない。

でも、怠惰でもなく、裏切りもせず、まっすぐ生きてきて、

の今なら、きっと未来は明るいのです。

 

そう信じて、居られる家にて夜を迎えれらるだけで

きっとよいのです。

 

ありがとう。。。。。

伝えられない

大きな地震の後の被害状況が実際に把握されるまで、時間がかかるように

その振動の影響が、残したものを浮き上がらせるのに

今日1日を要しました。

大きな揺さぶりの影響は、手足にかすり傷を負った時のように

痛みは感じません。どこがどのように強い風を受けたのか

気づかずに、始めの朝は、すがすがしいともいえる解放感を

癒す1日なのだという気がしていました。

 

忘れてはならない諸々の緊張感からしばし解放されて一息入れよう、

そんな状態が次の気づきを得たのは夕飯が終わった頃でした。

 

masaのあの時の行動、あの時彼の視線の先にあったものに

やっと気づきました。それは、去っていくパパの後ろ姿。

黙って行ってしまうその人の姿に追いすがるでもなく、

声を上げるでもなく、少し前のように地団太を踏むでもなく、

引き寄せられていく亡霊のようにその姿が見えなくなることを

最後まで見届けていた、その事を。。。

 

それは、休憩時間に入って、「いらしていただいていたお客様に

挨拶に行こう」と立ち上がったところでした。

masaが知っている顔が見えたところで立ち止まってね」と

後ろについていきました。父親代わりのように慕っているkahoパパ

そしてkahoママの前に来ても、全く気付かない風にして歩いて行こうとするmasa

後ろから呼び止めて「ねえねえ」と引き戻し、

もう一度よく見て?などとやっている最中のこと、

その時のmasaの視線は遠くの階段を下りて行ってしまうパパにあったのだと、

気づきました。

 

こんな気持ちをどのように救うことができるのか、

どのように仲立ちしてやることができるのか、

 

今日、明けの日なのに意欲的にピアノに向かったmasaの真意は

‟次の再会”のための演奏にむけたモチベーションだったのだと

今わかりました。

 

まるでドラマのような人生の一コマを送っているのは

私たちだけではないはず。このステージをそれぞれのドラマの中を精いっぱい生きている魂と一緒なのだと、考えようとしている今宵です。

動揺

      歴史的観光名所の”時計台”の2階 にホールがあることは有名ですが、

知らない方もいらっしゃいます。

 

今日は、ここでの音楽イベントで演奏させていただきましたmasa

 

クラシックやほかのライブなどと同じスタンスで、集合時間と言われた時間に

集まったのは、スタッフさんだけで・・随分早い時刻に‟練習3分”と言われて

真面目に制限時間を守って弾いていたショットです。

            

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そのあと長い本番までに繰り広げられた他の皆さんのリハ時間がまったく

ゆるくて、masaが可哀相になってしまいました・・・

いつも、いかにきちんとしたユニットに護られたステージで

演奏させていただいてきたのかを、改めて感じました。 

 

時計台のピアノはとても綺麗な音色で、リハは気持ちよく響いていましたが、

 

なんと!!!開演15分前に、masaパパが予告なくやってきました。

masaより後方の

遠くの席に座ったので、このまま伝えずにいこうか、でも挨拶した瞬間に顔が 

見えたら、もっと気になって演奏を忘れてしまうだろうか・・・

いろいろ迷っていたその一瞬後には、背中に視線を感じたのか、masasが

もう見つけていました。

何度も何度も後ろを振り返り、顔を確かめています。

これは!!

そこへ、「まさくん、緊張はしないのよねぇ?」とステージ紹介してくださることになっていたS先生に声をかけられて、

動揺したのは私の方。

masaは動揺していたのか、嬉しさいっぱいだったのか、全く予測できず、

繊細な影響が出る演奏が大崩れしないことをひたすら祈るしかありませんでした。

 

何度もパパを気にするmasaを見てか、

自ら近寄ってきたパパは、多分彼の思いつく精いっぱいの優しい声で「がんばってね」と一言。

終わった後の感想を聞くことはできませんでしたが、

masaは、ステージを続けている限り、

またパパに会えると思ったかな。

 

4年ぶりに聞いたmasaのピアノをパパはどう思ったのかな。

感想も聞かせてもらいたかったね、・・。

 

そんなmasaの本番は、いつもより”ちゃんと‟”間違えないように‟弾こうと

しているような、小さくまとまってしまった印象がありました。

きれいに流れたけれど、皆さん誉めてくださったけれど・・。

パパの前で、一生懸命いい子になろうと、小さくなってしまうmasa

してしまったことを父親は感じ取れたかな。

 

自分の心がどう受け止めているのか、どう反応しているのか

複雑すぎて、まだよく理解できない状態ですが

7ヶ月前の青天の霹靂を経て、4月13日、

大きな記憶に残る、演奏の日となりました。

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夢は沢山の笑顔

何な悩み事がある人が、最も力を受け取れるのは、

その悩みの解決策を知るということ以上に

その悩みに向き合おうと誰かに

関心を寄せてもらえることなのだそうです。

 

人は、結局自分のことを自分で解決するしかない。

それは、そうなのです。

その支えとなる力が、人。

周りの人々がどれだけの無償の愛で

自分を支えてくれているのか、

その支えを感じるほど、自分への信頼を自分で太くしていくことが

できるのでしょう。それだけの値が自分にあるのだということも疑う

喪失感があるからです。悩める人には。

 

乗り越えていけるはずだという確信は、

人が自分に向けてくれる笑顔の数に比例して膨らんでいくのだとも

ふと感じだ今日でした。

笑顔を交わすためには、それなりの場所に、それなりに

動いていくと出会える。。

それが次の自分への力になるはずです。

 

 

きょうの学びに感謝です。

 

 

 

 

音1でも大丈夫、でしょう?と言われてみて

昨日の晴天とはうってかわって、

風が強くて、灰色の空の一日でした。

 

外に出た時間には、雨も本降りでした。

”みそぎ”であったのだろう、とその勢いにも感謝をしつつ・・

 

明日は少し外を歩かなければならないので、

あまり風も無く、雨もないといいいな~と

願うこよいです。

 

今日、ピアノのレッスンのあと、不意にマヤの話になり、

「私、音1なのです。自助の1.孤独ですよね」と

言ったらご自分の紋章は忘れているという先生が、

「私も音1ですよ」と、続けて、

「でも、全然平気でしょう?」とおっしゃられて、・・・

これがきっと今日の天からのメッセージなのだな、と受け取りました。

 

一人だとか、孤独だとか言ってないで、大丈夫でしょう?ほら?

と励まされているような・・・。

とにかく前と全体を見て、動くのみ。

そういうことなのでしょう。

 

春のうららどころではないけれど、

木苺の大木を担いで歩いている、というご連絡も受けたりして(*^-^*)

私の前に届くメッセージは何となくどれも逞しい姿です。

春の庭

春の陽ざしが、やっと現れた今日、

発送が必要な届け出などの郵便物4通を準備するまでは

気ぜわしさも緊張感もありましたが、

午後は、ずっと手をかけられなかった庭のトリムをしに

出ることができました。

土を覆った芝やミントの枯草を取り除いて行くと、

ちゃ~んと、緑の新芽が顔を出していました。

 

葉が茂ると手が付けられなくなる山椒の枝を落としたり、

あちこち、新緑が噴き出す前のラストチャンスを

待っている子たちが、「やっと出てきてくれたんだね!」

と声をかけてくれていた気がしました。

ついでに、お庭のお隣さんも。

「こんにちわ~」って。

とっても早く帰ってくるパパさんです。

 

昨秋、お別れしなくて良いように、と

深い祈りをこめて冬支度をした自分の分身のような草木に

雪解けのあと、いつも通りに再会できたのは、

きっとこの子たちが守ってくれたからです。そんな感謝とともに

「ことしもよろしく。」と語りかけられて

静かな気持ちになっていました。