~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

伝えられない

大きな地震の後の被害状況が実際に把握されるまで、時間がかかるように

その振動の影響が、残したものを浮き上がらせるのに

今日1日を要しました。

大きな揺さぶりの影響は、手足にかすり傷を負った時のように

痛みは感じません。どこがどのように強い風を受けたのか

気づかずに、始めの朝は、すがすがしいともいえる解放感を

癒す1日なのだという気がしていました。

 

忘れてはならない諸々の緊張感からしばし解放されて一息入れよう、

そんな状態が次の気づきを得たのは夕飯が終わった頃でした。

 

masaのあの時の行動、あの時彼の視線の先にあったものに

やっと気づきました。それは、去っていくパパの後ろ姿。

黙って行ってしまうその人の姿に追いすがるでもなく、

声を上げるでもなく、少し前のように地団太を踏むでもなく、

引き寄せられていく亡霊のようにその姿が見えなくなることを

最後まで見届けていた、その事を。。。

 

それは、休憩時間に入って、「いらしていただいていたお客様に

挨拶に行こう」と立ち上がったところでした。

masaが知っている顔が見えたところで立ち止まってね」と

後ろについていきました。父親代わりのように慕っているkahoパパ

そしてkahoママの前に来ても、全く気付かない風にして歩いて行こうとするmasa

後ろから呼び止めて「ねえねえ」と引き戻し、

もう一度よく見て?などとやっている最中のこと、

その時のmasaの視線は遠くの階段を下りて行ってしまうパパにあったのだと、

気づきました。

 

こんな気持ちをどのように救うことができるのか、

どのように仲立ちしてやることができるのか、

 

今日、明けの日なのに意欲的にピアノに向かったmasaの真意は

‟次の再会”のための演奏にむけたモチベーションだったのだと

今わかりました。

 

まるでドラマのような人生の一コマを送っているのは

私たちだけではないはず。このステージをそれぞれのドラマの中を精いっぱい生きている魂と一緒なのだと、考えようとしている今宵です。