無意識に選んでいるかも、‟音量”
昨日は日中のほとんどの時間をテレビではなくラジオの音で
過ごしました。
テレビの音の仕組みは詳しくわかりませんが、
小さな音量にしているつもりでも、思考にかなり入り込んでくるのですね。
その点ラジオの音は、自分が聴いていない時は完全にBGMとして
なりをひそめてくれます。
自分主体の思考を敢えて避けたいような、
気を紛らわせる効果を期待するならテレビは良いですが、
家事や作業などのBGM代わりになっているテレビは、ラジオにしてみると
思っている以上に自分の次に進む思考が邪魔されずに
どんどん仕事がはかどります。
音量が意外に自分のか弱さ・強さのバロメーターになっているかな、
と思ったのは、今週のmasaの演奏タイムでのことがきっかけでした。
いつも、殆どの曲を一緒に歌っていただけるように、歌詞カードを準備して
私も一緒に歌うのですが、
前回、masaがセットしたコードのジャックがしっかり入っていなくて、
アンプからの音が出ていないことを、演奏終盤で気づきました。
キーボードから出る音が近くで鳴っているので、弾いている本人に支障はない
のですが、歌っている自分の声が、ずい分心もとない感じがして、
ストレスを残して帰ってきたのですね。それで、今週は、しっかり出力のチェックをして、伴奏の音に護られたような中で、歌えました。
以前から、masaがライブでお世話になっていた体験から、音がよく聞こえないと
歌いにくいのだ、ということを頭ではわかっていましたが、
ステージとかではなくて、本当にアットホームな規模の空間であっても、やはり、
バックの音がちゃんと出ていると、自分の耳に響く声とのバランスがとれるからでしょうか、声が出しやすく、歌いやすいので、全くストレスを感じずに終えることができました。
これとは一見関係ないように見えますが、
大音量の音楽を好む若者には、どこか、自分の中の頼りなさ、不足感を無意識に
音量に包まれて支えられたい感覚があるのかな、なんて思いました。
ひっくり返せば、か弱い、細い音の美しさで充分に満たされる精神は、
安定した、自分の中からの発動があるような心の状態を裏付けているのかな。
お寺さまや自然の中、森の中の静寂に、かすかな鳥のさえずりやせせらぎ、
鐘の音で満たされるのは、そこに、どっしりとしたエネルギーの支えが存在することを
意味しているのでしょう。
テレビを見ている訳でもないのにずっとつけていることが習慣になっている人は
心が、無駄な所で気ぜわしくなっていることを紛らわせているのかもしれません。
その音量を大きくすると、何となく安心する時は、もっと自分の頭の中のおしゃべりを
押さえこみたい時かもしれません。
今日、どのような音を選び、どのくらいの音量で聴くのか、
少し意識してみましょう。。